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【モチベーションカンパニーへの道】 アペルザ 社長 石原 誠

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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製造業の変革者

製造業の変革者

(企業家倶楽部2020年4月号掲載)

アペルザが目指すのは、製造業に専門特化した売り手と買い手をつなぐ「プラットフォーマー」だ。中国が「世界の工場」と呼ばれ、日本の工場は元気がないイメージがあるが、実は海外へ出て行った工場が戻ってきているのだ。再投資や「インダストリー4.0」の動きで国内投資が積極的になっている。製造業における設備投資額の合計は26 兆円、年間1兆円拡大している大きな市場である。この市場に狙いを定めアペルザは着実に前へ進んでいる。

製造業とITの融合

「工場のデジタル化は進んでいるが、取引の部分は遅れている。100年単位で変わっていないのではないか」こう話すのはアペルザ代表の石原誠だ。アペルザは、製造業に専門特化したインターネットサービスを提供している。とりわけ、「設備」の部分に着目していることが特徴である。

 同社の顧客は大企業から零細企業まで幅広い。中でも、コアターゲットとなるのは「中間層」である。会社の規模としては、従業員数50人から100人、売り上げ規模で50億円から100億円といったところである。この規模の企業に共通している問題が「人手不足」である。そこで、地方の中堅商社の営業マンが1日どのような活動を行っているかを調べた。すると、1日の20%しか対面で営業をしていなかった。残りの80%は、打ち合わせに行くための移動時間や見積作成などの事務処理に使われていた。その結果、「2:8の法則」ではないが、売上げの多い20%のお客さまはフォローできるが、80%のお客さまは放置されてしまっている。石原はここに「伸ばす余地」を見出した。

 アペルザのサービスは、SaaS事業の「アペルザクラウド」、メディア・広告事業の「アペルザカタログ」「アペルザeコマース」の大きく3つに分かれる。今同社の事業をけん引しているのは「アペルザクラウド」だ。現在、売り手側は8千社、利用者は月間30万人を超える規模となっていることも強みである。この8千社に及ぶ企業の商品情報がほぼ登録されているのだ。

 このシステムを使えば、マーケティングから営業活動まで一気通貫でできる。例えば、訪問することはできないが、新商品の案内などは簡単な操作でメールを配信し、先ほどの80%の放置されているお客さまにリーチすることもできる。さらに、ページ上で購入することも可能だ。また、そこから営業に繋がる事例が増えてきている。さらに、売買にとどまらず、取引量を増やすためのツールや、顧客管理までも行える。営業マンを一人雇用するより、ITの力を活用し、効率良く営業活動、マーケティング活動を行える点が魅力である。

「同じ商品でこのビジネスモデルを行っているところは世界のどこにも存在しない」そう石原は自負する。

ものづくり日本への熱い使命

 石原は、コンサルティングセールスで定評のあるキーエンスの出身である。キーエンスの社内ベンチャープログラムとして初となるインターネット事業を立ち上げ、その経営を担っていた。周りから見れば、恵まれた環境にいながら、なぜ起業することになったのか。そこには、漠然とながらもこの国に対する危機感があった。

「ものづくり日本」と言われて久しいが、人口は減り、放っておけば内需はどんどん萎んでいく。

「製造業はより強く、伸ばしていかなければ」という思いがあった。

 そんな折、日本の貿易収支が赤字であることを知り愕然とした。貿易統計を紐解いてみると、輸出の1位はもちろん自動車であるが、2位以下には、一般機械、機械部品、工作機械などの工場で使われている「部品」が並んでいた。「この部分を伸ばすことで強い『ものづくり日本』を次の世代に引き継げるのではないか」と石原は考えた。

 その時、キーエンス創業者からよく聞いていたことばを思い出した。「大きなことを成し遂げようと思ったら20年はかかる」何かを成し遂げようと思った。40歳を目前に、今の経営のパートナーである田中との出会いもあり、起業を決意する。

ピンチが作ったチャンス

 順調に見える同社にもピンチがあった。石原、田中の他に創業メンバーがもう1人いたのだ。それが、システムの基礎を組み立てた人物である。営業が強い石原、管理が強い田中ときたら、やはり技術に強い人間が必要であった。人づてに優秀な技術者と出会い、意気投合する。その人物の人脈でマーケットプレイスに強いエンジニアも揃っていった。システムは順調に立ち上がった。

 事業をクラウドサービスに舵を切ろうとしたとき、方向性の違いからその人物は会社を去ることになる。技術をすべて任せていたため、大きな痛手となった。

「ものすごく縦割りの組織だった」と石原は振り返る。3人それぞれの強い部分は「不可侵領域」のようになっていて、風通しが良くなかった。しかし、人物が去った後、否が応でも石原自身が技術チームを担当していかなければならなくなり、積極的に現場に入ってメンバーと話をすることになった。

「もっとお客さまの声を聴きながら開発をしたい」メンバーとの会話は新鮮だった。

 一時は開発もこれまでかと思ったものの、ふたを開ければ、むしろ社内の風通しが良くなった。クラウド事業に進んだ結果、一気に会社は成長曲線を描き始めた。

「日本の中小企業が製造する装置や部品の評価は海外でも高いものがあります。ただ、人手不足もあり海外に目を向けられない状況です」石原の視線の先には海外への事業展開も見えている。

 ITを製造業に活用することで再び強い「ものづくり日本」となる日を夢見ている。そんな石原はさながら「ものづくり日本の応援団長」である。今後の石原から目が離せない。

(戸谷 学)

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