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【企業家は語る】/ティア代表取締役社長 冨安徳久

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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日本で一番「ありがとう」と言われる葬儀社を目指して

「日本で一番『ありがとう』と言われる葬儀社」を目指し、全国展開へ向けて着実に歩を進めるティア。1997年7月の創業から21年の道のりの中で、東証一部への上場を果たし、葬儀会館数は100 店舗を突破した。ブラックボックスだらけの業界の中、なぜ同社は慣習を打破し、ここまで成長することができたのか、冨安徳久社長が経営と人財育成の極意を語った。

経営理念なき会社は会社にあらず

 1997年7月7日の創業から21年、私たちは現在100店舗以上を展開し、200店舗体制に向けた構想を描いています。あとはいかに全国展開を成し遂げるか。その未来を描き、具現化していくのが、経営者である私の使命です。

 創業した年、私は3月に会社を辞めてからの3カ月間を、経営理念、社是、社訓という会社の根幹になる想いを一字一句言葉にすることに費やしました。また、その際には「目指せ、日本で一番『ありがとう』と言われる葬儀社」という生涯スローガンも作りました。

 私は「売上げ、利益で日本一になる」と掲げたことは一度もありません。遺族の方から感謝され、「ありがとう」という言葉を日本一いただける会社になれば、自ずと業績は付いて来ると信じていました。

 経営理念を作るのにこれだけの時間を費やしたのは、事業計画、採用、人財育成、人事評価、マーケティング、出店、これら全てが経営理念の下に行われるからです。したがって、経営理念の無い会社は、会社ではないと思っています。

起業せねばならない切なる理由はあるか

 私が起業を決意したのは、30歳の時でした。当時私が勤めていた葬儀社で、「生活保護者を切り捨てる」という方針が決まったのが直接的な原因です。会議の席上でこれを聞いた私は、「それだけはやってはいけない!」と机を叩く勢いで訴えました。しかし、会社側の見解は「生活保護者など個人葬儀社に任せておけ。うちみたいな全国有数の葬儀社は、お金を持っている人だけ相手にすれば良い」というものでした。

 私は初めて就職した葬儀社で、「お金を持っていようがいまいが、そこに故人様がいる限り、絶対に分け隔てするな」と教えられました。世界でたった一人の、たった一度しかない儀式に携わっているわけですから、その方の最期を担当させていただく覚悟、二度とやり直しがきかないという覚悟を持ってやらなければならないという想いを先輩方から背中を通じて教わったのです。

 一生懸命さを失わなければ、相手の心に届き、感動、安心感を生んで、悲しみを癒すことができる。それを実践し続けた私は、アンケートも無い時代に、遺族の方から御礼の手紙が来るような社員になっていました。二番目の会社でも一生懸命働いていると、また手紙をいただくようになって、店長、マネージャー、事業部長という具合に出世していきました。

 店長になって初めて様々な仕入れ値を知った時は本当に驚きました。1万円で売っていたドライアイス10キロの仕入れ値は1200円、2万円の額付き写真は製作コストだけ考えれば1000円程度です。3~4万円の棺の仕入れ価格は4000円ですし、挙句の果てに100万円の祭壇は原価が16~18万円くらいでした。もちろん、人件費など他の費用も勘案しなければなりませんが、全て半額で売っても10パーセント以上の利益率を出せるほどの暴利です。

 当時はまだ「終活」などという言葉はなく、親が生きている間にその死を考えるなど不謹慎だと消費者側が思っている時代でした。葬儀社はそれにあぐらをかいて、「事が起こった後に連絡してください」とだけ言っておき、相手の家や車、交換した名刺に書かれた役職を見て、価格を決めていたのです。商売とは、お客様が喜ぶことを提供し、納得してお金を支払っていただくものです。しかし葬儀業界は、納得してもらうのではなく、説得できてしまう商売でした。

 こんな暴利を貪りながら、「生活保護者を切り捨てる」との考えを、私は許せませんでした。誰もが通る葬儀を司るこの業界で、誰かが本当に故人様のことを真剣に考えて、この仕事をしなければならない。この業界の悪しき慣習を変えなければならない。適正な料金で提供しなければならない。死も人生の一部だという考え方を世の中に浸透させ、命が有限であることを伝えていくような葬儀社を作ろうと思い、30歳の時に創業しようと決意したのです。

 事業は、生半可な覚悟で興してはいけません。何のためにやるのか。誰のためになるのか。「絶対にやらねばならない」という切なる理由はあるか。その会社を興すことによって、「こういう人を喜ばせたい」とか「業界に一石を投じたい、正しい方向に導きたい」という確固たる理由があってこそ、初めて経営者になれるのです。


(後編へ続く)


P r o f i l e

冨安徳久(とみやす・のりひさ)

1960年愛知県生まれ。18 歳の春、アルバイトで葬儀業界に入る。97 年7月株式会社ティアを設立。06 年6月名証セントレックスに上場。08年9月名証二部へ上場市場を変更。13年6月東証二部へ上場を果たし、14 年6月東証一部に指定替え。不透明な葬儀業界に一石を投じ、全国展開を目指している。15年第17 回企業家賞受賞。

(企業家倶楽部2018年12月号掲載)

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