MAGAZINE マガジン

【企業家は語る】メディアドゥホールディングス 代表取締役社長兼グループCEO 藤田恭嗣

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

日本のコンテンツを世界に発信したい

日本のコンテンツを世界に発信したい

メディアドゥのオフィスエントランス

(企業家倶楽部2018年6月号掲載)

 電子書籍の取次事業で業績を伸ばし、2013年には東証マザーズ、2016年には東証一部に上場を果たしたメディアドゥホールディングス。昨年には業界1 位の企業を買収するなど、破竹の勢いで成長を続けている。出版業界にI Tの最新技術を取り入れ、日本のコンテンツを世界に向けて発信すべく邁進する同社の藤田恭嗣社長が、挑戦の行方を語る。

社運を賭けた買収

 メディアドゥホールディングスは1999年4月の設立で、主に出版社と電子書店との間に立って仲介をする電子書籍流通事業を行っています。我々は昨年、当時業界シェア1位を誇っていた出版デジタル機構を買収しました。まさに社運を賭けた施策でした。電子書籍流通業界では、出版デジタル機構が売上げ約200億円で1位、弊社は売上げ約155億円で2位でした。こうした場合、2位の会社は3位の会社と合併して1位に立ち向かうのが一般的ですが、インターネットビジネスは時間の流れがとても速く、1位に対抗するためにじっくりと対策を練る暇は無いため、一気に1位を買収する決断に至りました。これにより、電子書籍の約30%が弊社を介して流通しています。

 メディアドゥは、皇居に面した毎日新聞社のビルに社屋を構えているのですが、私はこのビルに強いこだわりがあり、「絶対入ってやる!」と心に決めていました。それには2つ理由があります。まず1つ目は、日本で一番歴史のある新聞社に対する憧れ。2つ目は、近くに集英社、小学館といった多くの出版社がある神保町があり、日本から世界にコンテンツを広めていく上で最適な場所だからです。

(黄金の村工場の落成式にて)

父の夢を叶えたい

 メディアドゥ以外に、私は2013年、出身地である徳島県木頭村(現:那賀町)に黄金の村という会社を設立しました。黄金の村は、木頭ゆずを使った食品やコスメ・雑貨を製造・販売する他、東京の渋谷ヒカリエに「KAORU-KITO YUZU-」というデザートショップをオープンし、木頭ゆずを使ったスイーツを販売しています。

 社名の由来としては、私の最も尊敬する人物である父の夢が大きく関わっています。彼は生前「ゆずでお金を稼ぐ」、黄色いゆずと黄色い葉をつける銀杏という二つの産業で「木頭村を黄金の村にしたい」という夢を抱いていました。「黄金の村を作りたい」との父の夢を実現したいという想いからこの名前を付けました。ゆずを使って故郷を復興し、亡くなった父が成し遂げられなかった「木頭村を黄金の村にする」という大きな夢を代わりに叶えたいですね。

 その村の他に、木頭村を黄金の村にしたいという父の夢と、メディアドゥの事業を融合させたいということで、世界一のマンガ蔵書数を誇る「マンガパーク木頭」も作りたいと思っています。世界一の蔵書を集め、その全てを紙・電子双方の状態で管理し、木頭村の大自然の中でそれらのマンガを読めるようにしたい。遠くからわざわざこの木頭村に来てもらったのだから、1週間ほど滞在できるような宿泊施設も用意するなど、様々な仕掛けを考えています。地元のキャンプ場を譲り受け、再開発した「CAMP  PARK  KITO」も今年7月にオープンする予定です。

 木頭村に老若男女が楽しく過ごせる空間を作ることが地方創生になると思いますし、そうした空間を私たちが作りたい。そして、木頭村の人々を元気にすること、笑顔にすることはもちろんですが、地元の人だけが笑顔になっても仕方がありません。ここでITの力・経営力・資本力を使うことで、日本全国の地方にとって木頭村が一つの創生モデルになればと思っています。

苦悩あれど挑戦

 ここまで来るのには紆余曲折がありました。徳島から大学進学と同時に名古屋に出てきて、大学3年の時に、留学費用の800万円を稼ぐ手段として携帯電話の販売会社を起業。すると、結果として1年半で4000万円が手元に残りました。この会社に可能性を感じ、結局は留学をせず、大学卒業後も会社を続けることを決意。27歳の時には年商約22~23億円の売上げを計上し、店舗を出すほどに成長しました。

 ただ、端から見れば順風満帆に思えたかもしれませんが、当時は、実は刺激の無い、楽しくない時期でした。とにかく事業がつまらなかったですし、これといったオリジナリティーも無かった。自分の人生をかけて楽しみ、それを皆が認めてくれる。そして社員もお金が儲かるからではなく、この事業自体が好きだから頑張ることで親や子供に胸を張れるような仕事をしたかったのです。しかし実際には、事業は上手く行っていたものの、やり甲斐を感じられず、つらい時期でした。

 次に携帯電話販売事業の展開と同時に検索エンジンを開発するも、売上げがコストを上回らず業績がガクッと落ちた。毎月2000万円ほどの赤字で苦しくて大変な時期でした。日々苦しんでいる時に、ふと通勤中の車からサラリーマンが楽しそうに話しながら歩いているのを見て、初めて他人をうらやましいという気持ちになりました。その時の気持ちは自分にとって大切な感覚になっています。

 結局、業績悪化で携帯電話販売事業は売却を余儀なくされましたが、この失敗にめげませんでした。15~30秒の楽曲をダウンロードし、それを携帯電話の着信音にするサービスである「着うた」という金脈を掘り当て、月商1億円まで建て直して見事復活を果たすことが出来たのです。しかし、この業界は大手企業が多く、寡占状態であるため、マーケットシェアが取れないと判明。そこで参入障壁が高く、マーケットシェアが取れ、自社の強みを活かせる市場を模索した末、音楽配信事業開始から3年で現在の電子書籍業界にシフトしました。

電子書籍業界に進出

 電子書籍業界にシフトすると、まず「メディアドゥが参入障壁とされるコンテンツの収集・デジタル化・システム提供を行います。皆さんはマーケティングを行うだけですので、一緒に事業をやりませんか。その代わり、参入障壁を取り除くためのコストは皆で負担しましょう」というモデルを06年から作りました。この仕組みを08年に講談社、09年に小学館に認めてもらい、コンテンツを扱えるようになった。更に10年にはスマートフォンが日本で普及し始めます。大手出版社からの認可とスマートフォンの登場・普及という追い風によって、弊社の仕組みを多くの会社が導入することとなり、12年には40億円、13年は55億円の売上げを上げて東証マザーズ上場を果たしました。

 メディアドゥの次のテーマとしては、出版業界と一体になって、出版の世界からテクノロジーを提供していきたいですね。電子書籍流通事業において2位の立場では出版業界を変えていくのは難しい。そこで、業界1位を買収して圧倒的1位になることで、ある程度の発言力を持つことができました。今後は、日本から世界にコンテンツを発信することが出来る企業にしていきたいと思います。

Profile

藤田恭嗣(ふじた・やすし)

1973年、徳島県生まれ。94年大学三年時に創業。96 年、大学卒業と同時に法人設立。2000年にIT事業に参入。電子書籍を中心に、国内はもとより世界に流通できるコンテンツ流通プラットフォーム事業を展開。13 年に東証マザーズ上場、16年に東証一部に市場変更。17年第19 回企業家賞受賞。同年会社名を「メディアドゥホールディングス」とし、持株会社体制へ移行。

一覧を見る