会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
参加者に熱く語りかけるモビーダジャパン孫泰蔵(写真右)
(企業家倶楽部2015年8月号掲載)
4月24日、東京・台場に複数の白いドーム型テントが出現した。そこで開催されたのは「SLUSH ASIA」。若者の起業意欲向上のために北欧で始まったスタートアップイベントのアジア版だ。第1 回目にして約3000人が参加し、会場は活気に溢れた。ディー・エヌ・エー創業者の南場智子やモビーダジャパンの孫泰蔵も登壇した。このイベントは、日本における企業家精神向上への大きな一歩となるだろう。(文中敬称略)
派手なレーザー、白い円形ドームの内側全体に映し出されるプロジェクションマッピング、そして足元から響くクラブミュージック。ホワイトロックと呼ばれるドーム型テントで、北欧フィンランド発のスタートアップイベント「SLUSH ASIA」が幕を開けた。
イベントのコンセプトは、「スタートアップは格好良い。誰もが企業家になれる」。まるでロックフェスのような熱気と期待が入り混じる空間で、ライトに照らされた企業家たちは、自信に満ち溢れ、さながらスターのようだ。
モビーダジャパンを率いる孫泰蔵は、「若手企業家が増えることで、持続性のあるイノベーション創出サイクルができる。主役は君たちだ」と、会場に集まる参加者に熱く語りかけた。
「SLUSH」が最初に開かれた北欧と言えば、小売チェーンH&Mや家具店IKEAなど世界で人気を誇るブランドが生まれた地域というイメージがあるが、数年前までは若者の起業意識の低さが問題となっていた。そこで、スタートアップに対する意欲向上を目的として2008年に始まったのが今回のイベントである。
フィンランド本国では初回以降、毎年11月に開催されていて、当初200人程度だった参加者も、今や1万3000人に届く勢いだ。投資家、企業家はもちろん、報道陣、政治家までが集う一大ムーブメントとして、その存在感を増し続けている。アジア初開催となる今回、白羽の矢が立ったのが東京だった。
会場では公用語として英語が使用される。イベントの目玉として、企業家らが会社創業時のエピソードや自身の信条を語るトークセッションが行われるが、日本人ですら登壇する際には日本語を一切使わないという徹底ぶり。日本におけるスタートアップイベントとしては異色の存在だ。英語という言語のせいもあってか、企業家たちと参加者の距離感が近く感じられ、彼らの熱さが直に伝わって来た。
良い人材を見つけることは恋人探しのようなもの
ディー・エヌ・エー創業者の南場智子は、企業において大切なものは人・資金・ビジョンであると語る。中でも人材採用にはこだわりがあり、起業後最初に雇う10人が鍵になると主張。「一緒に仕事をしたいと思う人は大抵すでに他の人と一緒に働いている。それを何年もかけて追いかけて口説き落とすのは、好きな人と付き合うまでのプロセスのようなもの」と例える。
スマートフォン向けアプリ市場で世界のトップを争い、2年前にソフトバンクとも提携を結んだスーパーセルCEOのイルッカ・パーナネンも雇用について言及。同社のように、起業した国を飛び出して他国でビジネスを展開すると、社内でも文化や言語のギャップなどの障壁が立ちはだかる。「時間をかけて何事も包み隠さず接することを意識すれば、おのずとチームとしてまとまる。そのためには会社の規模を小さく保ち、社員ひとりひとりと向き合うべきだ」と、自身の経験に基づき指南する。大切だと語られる人材の中でも、パーナネンが特に目を向けるのは若年層だ。「東京の若者は素晴らしいアイデアを持っている」と期待をにじませる。
同じく若い人の持つ力にふれ、「次世代の担い手が街を変え、そして国を変える。いつまでも待っているのではなく、自分たちがやるぞという意識を持とう」と熱弁をふるうのは、福岡市長の高島宗一郎。
福岡市は2014年に国家戦略特区として指定され、グローバルスタートアップ支援に対しても積極的だ。同年には、起業に興味を持つ人同士が交流できる場としてスタートアップカフェを開設。市内各所での無料公衆無線LANサービスも始まり、その拠点数は増え続けている。高島は政治家として、企業家たちとはまた違った視点から、日本の若者が秘める可能性を強調。彼らに対して政治が力添えすることの重要性を語った。
変化を恐れず不可能に挑戦せよ
「変化は力だ」
Cチャンネル社長の森川亮はスピーチの中で繰り返し訴えた。同氏は、スマートフォン向けコミュニケーションツールを運営するLINEの社長を務めていたが、今年3月に退任。4月から女性向け動画メディアを取り扱うCチャンネルを立ち上げた。その慢心しない姿勢は「変化を恐れるな」という言葉を体現する。変化を避けることは成功を遠ざけることを意味すると言っても過言ではないだろう。
「ビジネスで一番面白い時期は、アイデアが成功に導かれる前の混沌とした部分」と南場の言葉にあるように、ビジネスに困難は付き物だ。前述のパーナネンも「簡単だったことなど一度も無い」と自身の経験を振り返る。しかし、混沌の中にあっても、自分のビジネスについて一番理解している企業家自身がすばやく判断をする潔さが大切だ。成功までの厳しい道のりを楽しんでこそ一流というわけである。
一方で、日本人は失敗を恐れて変化を起そうとしないという指摘もある。デザインを利用したコンサルタントを手がけ、最もイノベーティブな企業としてグーグルやアップルとも肩を並べる米IDEOの共同経営者トム・ケリーは、日本人のビジネスに対する姿勢に警鐘を鳴らす。
「グローバルスタートアップを目指すにあたり、欠かせない点が2つある。現状に常に疑問を持ち続けることと、アイデアがあれば考えるよりもまず実行に移し、その結果から学ぶスピード感を持つことだ」
今後日本のスタートアップ産業がどうなっていくかは、日本人がこの2点を実行できるか否かにかかっているともとれる。
本イベントの登壇者たちに共通するのは、起業は可能性に満ちていて、強い志をもってすれば不可能なことなど無いという強い信念と、恐れを知らぬチャレンジ精神だ。日本において、企業家精神の浸透は依然として課題だ。今回登壇した企業家らの言葉の端々に未来を担う若者への期待が垣間見えた。
活気に満ちた企業家の姿を見せ、起業は難しくハードルが高いというイメージを一新する「SLUSH ASIA」。このイベントは日本のスタートアップ界にとって記念すべき一歩となるだろう。
「実行することは勇気がいるが、日本人はもっと自信を持って挑戦するべきだ」というケリーの言葉を借りて、ビジョンを持ち起業を夢見る若者の背中を押したい。