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【編集長インタビュー】テラ 代表取締役社長 矢﨑雄一郎

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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がんに不安を感じたらテラに相談しよう

がんに不安を感じたらテラに相談しよう

(企業家倶楽部2015年6月号掲載)

「将来的には進行がん患者から健康な人まで、『がんに不安を感じたらまずはテラに相談しよう』が当たり前になるようにしたい」と矢﨑社長は夢を語る。外科医から企業家へ転身した夢追い人は、がん医療に革命を起こすという情熱に共感する同志を集め、一歩一歩前進する。バイオベンチャーの雄、矢﨑社長にこれまでの軌跡と将来展望を聞いた。( 聞き手は本誌編集長 徳永健一)

医師から企業家へ転身

問 矢﨑社長はもともと外科医をされていましたね。安定した職を捨ててまで、免疫療法でがん医療に革命を起こそうと思ったのはなぜですか。

矢﨑 自分を可愛がってくれた叔父と叔母をがんで亡くしました。二人とも50才前後という若さです。3年ほど大学病院で働いており、やりがいも感じていましたが、「外科医としてあと何人の患者の命を救えるだろうか」と自問するようになりました。自分にしかできない何かがあるかもしれないと思い立ち、医者を辞めて世界に放浪の旅へ出ました。

 帰国してすぐにバイオベンチャーに就職し、そこで細胞医療について知りました。その後、東京大学医科学研究所に移り、現在のテラの根幹となっている樹状細胞ワクチン療法と出会いました。その時、がんを撲滅するのはこれしかないと思いました。

問 なぜ、研究員からバイオベンチャーを起業することになったのでしょうか。

矢﨑 大学の臨床研究は終わったら製薬会社に興味を持たれるか、残念ですがお蔵入りのどちらかになるのが一般的です。樹状細胞の研究は、良い効果が出ているのに実はお蔵入りになろうとしていました。なぜかというと患者の細胞を使うワクチンは、市販薬に比べて製造が難しいのと、細胞の管理に莫大なコストと手間がかかるからです。さらに生の細胞では搬送が面倒だというのが分かっていました。

 しかし、私はがん家系でしたので、副作用もないこの治療法を自分も受けたいと思いました。がん患者からも喜ばれるだろうという想いだけで、「私にやらせて下さい」と手を上げたのがテラの始まりです。

 当時の教授も「細胞を採取して戻す治療はコストがかかる。絶対にビジネス的に成功しないから止めておきなさい」と助言してくれましたが、そんな周囲の反対も押し切って起業しました。

 ただ、私がラッキーだったのは、起業した2004年当時は大学の知財について現在ほどの厳格さを求められることもなく、会社を立ち上げることが出来たことです。

問 創業当時で苦労したことはありますか。

矢﨑 資金調達などは全くの素人でした。銀行からの融資とベンチャーキャピタルからの投資の区別もついていませんでした。東京大学エッジキャピタルの郷治さんの協力もあり、合計2億円の資金調達が出来ましたが、私は本屋で「ベンチャーキャピタルにはダマされるな」という本を買ってきて、出来ればVCにはお金を出して欲しくないと警戒していました。今となっては笑い話です。

問 他に苦労はありませんでしたか。

矢﨑 2005年に初めて提携先の医療機関に細胞培養のためのクリーンルームを作るときは苦労しました。大手の医療機器メーカーに設置を依頼しましたが、納期が約束の期日から大幅に遅れるというのです。クリーンルームがないと細胞培養が出来ず、治療も出来ません。そこで副社長と先方の担当者に詰め寄り、念書も取り、休日返上で作業をしてもらい約束通り3カ月で納品していただきました。

 クリーンルームが完成しても、さらに逆境は続きます。治療を行うには、患者からがん細胞を手術で取り出して樹状細胞に与えなければなりません。しかし、がんが進行している患者さんに再度手術を受けてもらうことは体力的に不可能で、がん抗原を入手することが出来ませんでした。

 創業当時から樹状細胞に食べさせるがん抗原を入手することが課題でした。

問 VCも厳しい目を向けたそうですね。

矢﨑 事業が行き詰まると経営者に厳しい目が向けられます。出資者から「やはり医者に経営は難しいのではないか」と言われ、社長交代もささやかれました。

 そんな時に週刊誌に東大の樹状ワクチンの記事が取り上げられました。宣伝広告費もなかったので、大量にその雑誌を購入し、そのページが自然に開くように折り目をつけて、がんセンターなどの関係各所の本棚に無断で配ってきました。どれほどの効果があったかは不明ですが、出来ることは何でもやりました。それほど窮していたのでしょう。

諦めない気持ちと人との縁

問 いつから事業が好転したのでしょうか。

矢﨑 徳島大学の先生が面白い樹状細胞の研究をしていると聞き、会いに行きました。岡本先生の治療法は、口腔がんを専門としており、がんを取らずに樹状細胞を直接がんに注射するというものでした。目から鱗のような話で、この方法ならがん細胞は手術で取ってくる必要がありません。岡本先生に様々な相談をしている中で、「それならば大学を辞めて協力するよ」という話になりました。「お金はありませんが、東京に来て下さい」と岡本先生に、テラの役員になってもらいました。そのことが、後のブレイクスルーのきっかけになりました。

問 がん抗原を入手しなくても済むようになったのですね。課題が解決し、その後事業は順調に拡大したのでしょうか。

矢﨑 口腔がんは体の表面にあり、見えるところにあるので注射できますが、多くのがんは体内にあるためこの方法が使えませんでした。

 東大で放射線治療をしていた先生がCTやレントゲンの画像を使って直接がん組織に注射できると聞き、会いに行ったこともあります。しかし、特殊な技術のためどの医者でも出来るような一般的な手術ではなく、徐々に前進はしているのですが、ブレイクスルーとまでは行きませんでした。

問 矢﨑社長は熱くビジョンを語り、その夢に共感して仲間が集まってくると社員の方も話しています。人との出会いが転機になっているようですね。

矢﨑 何があっても、あきらめない気持ちが重要ですね。それと、「この人と一緒に仕事がしたい」と思えるかどうかを大切にしています。仕事に対する姿勢やがん医療で革命を起こすのだという想いを共感できるかを大切にしています。

 徳島大学からテラに参画してくれた岡本先生が免疫学者の人的ネットワークを持っており、大阪大学の杉山先生を紹介してもらいました。杉山先生は、がん抗原であるWT1を発見したことで世界的に有名な人物です。人工抗原があれば、患者からがん細胞を入手する必要がなくなります。

 創業以来の最大の課題を解決するため、WT1ペプチドの独占使用権が不可欠なのですが、始めは断られました。三顧の礼ではありませんが、1年近く何度も通い続けた結果、競合の大企業ではなく、テラに独占使用権を与えてくれました。今、考えても不思議なのですが、若いのにチャレンジしているバイオベンチャー企業を支援してあげようと思ってくれたのでしょう。あまりにも私たちが未熟すぎて、「助けてあげたい」と考えてくれたのかもしれません。

問 矢﨑社長の熱意が功を奏したのではないでしょうか。

矢﨑 もしかしたら、話題作りや社会的なPR要素が強い大企業よりも、組織は小さいけれども細胞治療に真剣に取り組んでいる私たちの方が、新しい治療法の実現性が高いと判断してくれたのかもしれません。

 いずれにしても、この人工がん抗原の技術を手に入れたおかげで、これまで樹状細胞を使った免疫治療を受けたいと思っていた患者さんにがん組織を手術で取り出すことなく、治療できるようになり、飛躍的に症例数が増えました。東大の細胞培養技術から始まったベンチャーですが、徳島大学、大阪大学の技術が融合して成り立っています。

テラの未来戦略

問 矢﨑社長の今後の展望を聞かせて下さい。

矢﨑 免疫療法はこれまで医師の裁量のもとで行われてきた自由診療です。高額な保険外診療ですので、国に認めてもらう医療にしていくというのが重要です。そもそもこの細胞をつかった医療、再生医療に関する法律もありませんでした。自分の細胞を加工して、また体内に戻すというのが今までの治療の概念としてありませんでした。

 山中教授がノーベル賞を受賞したおかげでiPSが話題になり、新しい細胞医療にもスポットライトが当てられるようになりました。そして、政府は再生医療・細胞医療を国家戦略として位置づけました。日本から再生医療・細胞医療を世界に広めようと、薬事法の改正を行いました。法律が2013年に通り、2014年11月にようやく施行されました。そこで、我々としては樹状細胞ワクチンを保険適用まで持って行こうと今、準備しているところです。

問 薬事承認取得のスケジュールはどうでしょうか。

矢﨑 私たちは世界的に見ても最大規模のすでに約9000症例の実績がありますが、薬事申請のために治験が必要になります。そこで2015年中に治験届を提出し、早くて2018年から2020年の間に認めてもらうようなスケジュールです。

 しかし、全てのがんについて申請はできないため、まずは一番たちの悪いすい臓がんで承認を目指し、肺がんや胃がん、大腸がんなど他のがんへも横展開していきます。

問 樹状細胞を使った免疫療法はがん以外の病気にも使えるのでしょうか。

矢﨑 可能性はあります。例えば、花粉症も将来的には治せるようになるでしょう。バクセルはその可能性があります。他には関節リュウマチにもバクセルが使える時代は来ると思います。その理由は、樹状細胞は自分以外の敵に対する攻撃を促したり辞めさせたりと、アクセルとブレーキの両方の機能を持っています。ですから、今まではがんに対して攻撃する性格をもった樹状細胞を作ってきたのですが、反対に免疫が盛り上がっているのを押さえるようにさせることも可能です。つまり、アレルギーは過敏反応ですから、それを押さえることが可能になる時代が来るということです。したがって次のステップとしてアレルギーを抑える薬も開発したいと考えています。

日本から世界へ

問 矢﨑社長の究極の夢は何でしょうか。

矢﨑 日本で樹状細胞ワクチンを承認させ、世界に広げていきたいと考えています。

「がんに関して不安を感じたら、まずはテラに相談しよう」と誰もが思うようになれたらいいですね。

 今は進行がんをターゲットにしていますが、早期のがんや再発防止にも広げていきたい。その先には未病の人、先制医療・予防医療の分野まで手掛けていきたいと考えています。今までは治療がメインでしたが、精密な画像を使った診断も行います。そのため、遺伝子解析の子会社も設立しています。がんのリスクも分かり、どんな薬が効くかも分かる時代が来ます。バクセルも延命効果がありますが、診断と組み合わせてがんと戦うことで相乗効果があります。

 なぜ免疫療法は先制医療が重要かというと、免疫が元気なうちに樹状細胞を採取し、バクセルを作っておくとより免疫力が強いものができるからです。将来のがんリスクに備えて、バクセルを作製・保管できるようになりました。5月からは「免疫細胞バンク」という革新的なサービスも開始予定です。

 もうひとつは、医療費の問題です。これも患者さんの家族の方の声から必要性を感じました。先端医療は費用が高額のため誰もが受けられる訳ではありません。先端医療が承認され保険が使えるようになるまでには必ず時間のギャップがあります。そのギャップを埋めるために世界初の「がん治療のための免疫保険」を作りました。この保険は、2015年3月に「少額短期保険大賞」を受賞しました。がん免疫細胞療法の治験費を保障する新しいがん保険です。テラグループとして、治療だけではなく、治療費の不安まで総合的にカバーしたいと思います。

p r o f i l e

矢﨑雄一郎(やざき・ゆういちろう)

1972年1月27日生まれ。96年東海大学附属病院勤務。00 年11月ヒュービットジェノミクス(株)入社。03年4 月東京大学医科学研究所細胞プロセッシング寄付研究部門研究員。04年6月テラを設立し代表取締役社長に就任。13年「第15回企業家賞チャレンジャー賞」受賞。

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