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【ベンチャー三国志】Vol.4

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

孫正義スペースシャトル経営を編み出す

(企業家倶楽部2010年12月号掲載)

一国は一人(いちにん)を以って興り、一人を以って亡ぶ。ひとりの英傑の出現によって、企業は生まれ、産業が興り、国が栄える。時は今、第三次産業革命といわれる情報革命を迎えた。大義とロマンを掲げて、世界を疾駆する現代の「蒼き狼」たちの命懸けの戦いを追う。

【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、藤田大輔、土橋克寿

試練がスペースシャトル経営を編み出す

 創業期の試練は孫正義をたくましい経営者に育てた。その一つが孫流経営手法の確立である。名付けて、「スペースシャトル経営」。それはチーム制、日次決算、インセンティブ制、1万本ノック、パソコンの徹底活用の5本柱から成っている。順次説明して行こう。 

 1990年代初頭、ソフトバンクの組織はソフトウェア、ネットワーク、出版、データネットの4事業部に分かれていた。孫はこの4事業部に91年、10人1組のチーム制を敷いた。95年には全部で60チームになり、各チームに独立採算制を取り入れた。

ミニ社長をつくる

 そして、チームリーダーであるプロフィットセンター長の権限を大幅に強化した。人の採用から商品開発、設備投資、マーケティングなどに関する一切の権限を任せた。つまり「ミニ社長」をつくったのだ。

 孫はチーム制を導入、プロフィットセンター長に大幅に権限を委譲した理由を次のように語る。

「社長や本社が商品開発やマーケティングの権限を持つのは1000メートル先の的をピストルで撃つようなもの。権限を現場に任せれば、1メートルの所から的を撃つことが出来る」

 チーム毎の独立採算制の導入に伴って日次決算を採用した。チーム毎の社員1人ひとりの売り上げ、経常利益を1日毎に算出、どのチームが、また誰が予算を達成しているか、毎日わかるようにした。ミニ社長たちは血眼になって張り切った。「羊の目が狼の目に変わった」と孫はほくそえんだ。

日次決算

 日次決算にはもう一つメリットがある。企業会計には大きく分けて3つある。1つは財務会計。主に税務署向けのもので、年1回の決算で間に合う(現在上場企業は4半期決算を義務付けられている)。

 次が管理会計。事業部門毎に利益などを算出、決算も月次になる。しかし、これも変化の激しい現代では時代遅れになりつつある。

 そこで、孫は意思決定を迅速にするための「戦略会計」つまり日次決算を採用した。孫は日次決算のメリットを好きなゴルフにたとえて説明した。

「ゴルフの球の落ちた地点(結果)だけでなく、球筋(経過)が見える。生きた球だったかの判断がつき、意思決定が速くなる」

 毎日、成績表を見せられて、息苦しくならないか、という反論がある。これに対して孫は「日次決算で社員のコスト意識が明確になる。新制度は現場の裁量権を拡大するために実施した」という。

「数字という無味乾燥としたものでも、それを徹底的に突き詰めて行くと、遥かに人間味溢れたものになる。デジタルはアナログを超える」。孫らしい哲学である。

 独立採算制をとり、日次決算を導入しても、成績優秀者に何の見返りもなければ、社員は働く気が起きない。そこで、成績優秀なセンター長には年俸に近い、時にはそれ以上の報奨金を出すことにした。

破格のインセンティブ制度

 ここで、面白いのは報奨金の対象がセンター長だけであること。いわゆる平社員はほとんど恩恵にあずからない。「細胞の核は1つでよい。核が活性化すれば、細胞は活性化する」という孫の哲学による。

 そうすれば、センター長予備軍は明日のセンター長を目指して頑張るようになる。実際、90年初頭は入社5年程度でセンター長になれるので、報奨金という人参はすぐ手の届く所にあった。

 業績評価の基準は経常利益の絶対額の大きさ。1万円単位でポイントを与え、給料や報奨金にハネ返る。ポイントは原則、青天井で、利益額が多ければ多いほど給料、報奨金は増える。

 インセンティブ制度は94年度から導入され、95年5月21日、東京・赤坂プリンスホテルで国内の全社員800人を集めた長期経営計画発表会で成績優秀者に報奨金を贈る第1回表彰式を行った。

 報奨金が1000万円を超える社員約20人が壇上に並ぶ。孫が1人ずつ名前を読み上げ、報奨額を伝える。

「○○君、2500万円」「△△君、3000万円」・・・。報奨額が大きくなるにつれ、会場の興奮度は高まる。

 社員の最高額は5840万円、役員では45歳の常務、宮内謙(現副社長)が1億500万円を獲得した。最後に宮内が表彰者を代表して挨拶したが、声が上ずり、まともな挨拶にならない。

 ただ、報奨金はその場で一括して現金で渡された訳ではない。ストックオプション制度を活用したもので、たとえば1億500万円を獲得した宮内は1億500万円の同社の株式を10年分割で孫の持ち株の中から渡される。

 表彰式当日の株価が基準となり、94年度は95年5月19日の株価(1株1万円)が基準となった。1年に1050株、10年間で10500株が渡された。常務はいつでも株式を現金に換えても良い。おそらくインセンティブを獲得した社員たちは自分たちの取り分を少しでも多くするため、懸命に働き、同社の株価を上げようとする。

 孫は6年間で200億円分の株式を社員に与えることにしたが、社員が仕事に精を出し、株価を引き上げてくれれば、孫の持ち株(約1000万株)の価値も上がる。このインセンティブ制度は社員、会社、孫そして株主の4者が儲かる仕組みだ。

 問題は税金。社員には、給料、ボーナスにインセンティブを加えた額が所得とみなされ、課税される。株式を現金化するタイミングを誤ると、高い税金を払うことになる。さらに、孫にも贈与税が課せられる。ほぼ、贈与した額に等しい税金が課せられるが、孫は「社員のヤル気を引き出すためには、この制度しかない」と実行した。

1万本ノック

 チーム制やインセンティブ制で個々の細胞を活性化しても、会社全体のバランスが崩れては経営は成り立たない。全体の人員配置、資金の配分などがバランス良く保たれてこそ、経営はうまく行く。そのため、孫はあらゆる角度から自社の経営を分析し、バランス経営をめざした。その経営分析の指標を1万本用意するところから、1万本ノックと名付けた。

 例えば、対売上高経常利益、対売上高人件費、1人当たり売上高、1人当たり経常利益という具合に1000本、1万本の指標をつくり、あらゆる角度から自社の経営を分析した。ちょうど、人間の体をCTスキャンで細かく輪切りにして、健康を計る一方、病巣を突き止めるようなものである。

「しかも、色んな指標でグラフ化し、時系列化すると、経営状況が一目瞭然となる」と孫は部下に自慢した。

 多くの経営指標の中で孫が最も重視したのはF/M比率。Fはフィクスド・コスト、つまり人件費や償却費などの固定費。Mはマージンのことで、売り上げから原材料を除いた付加価値を指す。F/M比率が100なら損益分岐点。100を超えたら、その部門は儲かっていないことになる。

 経営には、社長の勘で経営する有視界飛行と徹底した経営分析による計器飛行がある。どちらが優れた経営手法とは、一概には言えないが、孫は「計器飛行が好きだし、得意だ」と語る。年商100億円より1000億円、いや1兆円企業の方が操縦しやすい、とその頃から豪語していた。

「セスナ機ではどう逆立ちしても太平洋は渡れない。私はジャンボ機で太平洋を渡り、将来は宇宙に飛び立ち、シャトル経営をめざしたい」というのが、孫の口癖だった。

 日次決算や1万本ノック、アイデアはいいが、中堅・中小企業にとっては、至難の業。ソロバンでは無理だし、大型コンピューターではカネがかかりすぎる。そこで、孫はパソコンを駆使した。

1人3丁拳銃

 孫はパソコンは戦国時代の近代兵器である鉄砲と同じ、と考えた。織田信長はハイテク兵器、鉄砲を駆使して天下を取った。信長が斉藤道三に出会った当時は200丁の鉄砲を装備していた。次に数年後の長篠の戦いでは、織田軍は2万人の兵隊に対し、2000丁の鉄砲を装備していた。鉄砲装備率は10%である。この鉄砲隊で武田の騎馬隊を殲滅した。

 そして、現代の鉄砲に当たるのがパソコン(現在はiPhoneかiPadか)。90年代初頭の一部上場企業のパソコン装備率は25%程度だったが、ソフトバンクは300%だった。つまり、1人3丁拳銃だ。このパソコンを駆使すると、日次決算も1万本ノックも可能となる。

 もっとも、日次決算のシステム確立は容易ではなかった。当初、売り上げ、仕入れリベート、運賃の換算など未調整で、月次と日次の利益が20%も食い違った。その都度、プログラムを書き換えて現実に近づけていった。書き換えは約60回に及んだ。

「当社はパソコンソフトの卸業務をしていますが、日次決算だけはどんなに大金を積まれても売ることは出来ない」。孫の自慢の作品なのである。

「誰にも売らない」と孫が宣言した門外不出の日次決算ソフトを売ってくれと言ってきた男がいた。数年前、初対面で大喧嘩した朝日ソーラー社長(現会長)の林武志である。

 2人は大喧嘩したことが幸いして、肝胆相照らす仲になっていた。孫は父親の三憲とともに大分の朝日ソーラー本社を訪れ、別府温泉につかって、帰っていったこともある。その後も互いの夢を語り合い、悩みを打ち明けあった。

 ある時、孫が日次決算を林に自慢気に語った。林は毎日、全国100支店から報告される売り上げを朝、昼、晩の3回集計するほど、売り上げに執着していたが、営業マン1人ひとりの日次決算までには思いが至らなかった。孫の日次決算のことを聞いて、「これだ!」と直感した。

「孫、そのソフトを俺に売ってくれ」

「いや、それだけは勘弁してよ。林さんの頼みは何でも聞くけど、これだけは聞けんバイ」と孫。

 押し問答の末、しびれを切らした林が「幾らなら売ってくれるとか!」と最後通牒を投げつけた。

「そんなら、これだけ」と言って、孫は片手を広げた。孫としては、法外な値段を提示すれば、諦めてくれると思ったのだが、アテが外れた。

「分かった。その値段で買おう!」

 ただちに、朝日ソーラーからソフトバンクに約束の金額が振り込まれた。日次決算ソフトとテレビ会議システムをセットにした商談が成立、さっそく、東京から常務の宮内謙が大分に常駐、システムの構築に取り組んだ。

緻密な経営システムが孫流経営の真髄

 孫の場合、天空に高く打ち上げられた壮大な事業計画に注目が集まるが、実は孫流経営の真髄は緻密な経営システムにある。

 孫の経営は合理的かつ正統派の経営と言える。変な癖がなく、理にかなっている。ある大手企業からスカウトされた役員がパソコンを習うことになった時、孫は「10本の指を使ってくださいね。決して人差し指だけで操作しないように」と忠告した。何事にも真正面から取り組む姿勢がこの言葉に良く表されている。正攻法の経営が孫流経営の真髄と言える。

 では、孫流経営はカリフォルニア大学で学んだのか。さにあらず。創業期に血の滲むような悪戦苦闘の中から、編み出したものである。

 孫は創業して1年半後に慢性肝炎にかかり、入院を余儀なくされた。創業経営者が第一線に立って会社を引っ張って行かなければならない時に、前線に出られない。そんな状況が3年ほど続いた。

 現場の状況がつかめない。それでも何とか、会社の置かれた状況を把握しなければならない。その時、孫は現場から上がって来る数字を見ながら、現場の状況を掌握しようとした。財務諸表を必死で見ているうちに、次第に現場の状況がわかってきた。病床からも的確な指令を出すことも可能となった。病が孫にリモートコントロール経営を身につけさせたのである。

 同時にこの時期、「竜馬がゆく」「三国志」などの歴史小説や戦略ものを片端しから読んだ。孫氏の兵法は関連の書籍を30冊ほど読破した。

 孫の経営は一見、米国流のドライな手法のように見えるが、実は挫折を重ねて、七転八倒した末に練り上げた、極めて人間味あふれる経営手法なのだ。

 孫は病院のベッドの上で、現在の経営の基礎となる「孫の二乗の兵法」を考案した。この「孫の二乗の兵法」が礎石となり、その上にスペースシャトル経営が建てられた。

「孫の二乗の兵法」については、2010年7月の孫正義後継者育成機関であるソフトバンクアカデミアの開校式記念講義でその全容を明らかにした。すでに、ユーストリームで実況中継されたので、視聴した読者も多いと思うが、念のため概要を紹介しよう。

 ソフトバンクアカデミアは、将来5000社(現在800社)となるソフトバンクグループの経営幹部1万5000人を教育する企業内大学で、グループ企業から270人、外部から30人を選抜、孫正義の実践経営学を伝授する。そのため、孫正義は毎週1回教壇に立つ。半年に1回、受講生の10%を入れ替えるという厳しい選抜システムを採用している。日頃の受講態度、発言内容を受講生が相互評価して、10 %を入れ替える。受講生の表情は振り落とされまいと真剣そのものだ。

 さて、「孫の二乗の兵法」である。たて5文字、横5文字合計25文字から成る。孫子の兵法を土台にして、ランチェスターの法則や孫正義の考えを合わせて、25文字に集約した「成功要因」(孫正義)である。孫子と孫正義の兵法ということで「孫の二乗の兵法」と名付けた。

 孫正義は2時間強に渡って、25文字の1つひとつを解説した。「君たちはこの25文字を片時も忘れてはならないが、本当の理解は実際の試練を通して体得しなければならない」と前置きして、講義に入った。

 一番上の段の横5文字が経営理念(志)に関する成功要因で、「道」はソフトバンクの理念を指す。「ソフトバンクの道は何か」と孫が問うと、受講生の1人がすかさず答える。「情報革命によって人々を幸せにすることです」。「素晴らしい! 君は何という名前だ?」社員が自社の理念を誤りなく理解していることに孫も満足な表情だ。

 次は「天」。「これは天の時を言う。今、時は情報ビッグバンを迎え、20万年の人類の歴史の中で最も大きな革命期に入った。諸君は何と幸せなことか。それに比べると松下幸之助はアンラッキーだった。少しばかり早く生まれ過ぎた」とジョークをまじえて、受講生にチャンスが目の前にあることを論じた。

「地」は言わずと知れた地の利。情報革命の中核部分であるインターネットはアメリカで発祥したが、その中心は次第にアジアに移りつつある。孫は2015年のインターネット人口を示した。

「5年後にはアジアのインターネット人口は26億人( 50 %)となり、アメリカ地区の6億人強( 12 %)に大きく水をあける。これまではマイクロソフト、ヤフー、グーグルなどアメリカの企業が主導権を握っていたが、これからは中国のIT企業が主導権を握る。そのため、ソフトバンクはアリババやOPIに出資した」と自信たっぷりに語る。地の利もソフトバンクに有利に働いているというのだ。

 話を下に戻すと、チーム制による独立採算制も事業の失敗から考案したものだ。80年代後半、出版部門の赤字体質が直らなかった。6誌ある雑誌のうち、1誌を除いて全部赤字で、泥沼から脱出出来なくなった。

独立採算で虎口を脱出

 出版部門は孫の思い入れの強い部門だったが、ソフトバンクの屋台骨を揺さぶるようになっては放置できない。ある時、6人の編集長を集めて、こう言い渡した。

「3カ月以内に黒字化の見込みが立たない雑誌は廃刊にする」

 6人の編集長は猛反対。「出版人の常識を疑う」と批判、席を立って出て行こうとした。

 孫は「もし、部屋を出て行ったら、2度と帰って来るな」と怒鳴ったあと、「今生の別れになる前に、なぜ、俺が冷酷な通告をするか聞いておくのも損ではないだろう」と語り始めた。

「ライオンのいる檻の中に、自分の子どもが落ちたとする。俺は自分の危険も顧みず、檻の中に飛び込む。その時、子供がライオンに片足をかまれ、出血が激しく、片足を切断しなければならなくなったとき、君達はどうするか」

「かわいそうだと、そのままにしておくか。片足を失ってもいいから命だけは助けてくれと言うのが本当の親の愛情ではないか。今の出版部門はライオンに足を食われて瀕死の重傷を負っている。出血を防ぐためには、赤字雑誌を切る以外にないのだ!」

 孫の必死の説得が実って、6つの雑誌の編集長はリストラにかかった。65人いた社員は50人に減らし、内容も大幅に変更した。この結果、半年後に1誌を除いて全雑誌が黒字に転換した。廃刊の憂き目にあった雑誌も幸い別冊を持っており、これが残り、その後「スーパーファミコン」という人気雑誌に育った。

 雑誌ごとに独立採算制を敷き、背水の陣で臨んだことが業績の急回復につながった。

「会社を強くするには、チームを強くしなければならない。チームを強くするには、チームの構成員である個人の技を強化しなければならない」。孫は赤字経営を通じて経営の極意を悟った。

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