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【ベンチャー三国志】Vol.11

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

蘇る不死鳥

蘇る不死鳥

2011年12月にオープンした「代官山蔦屋書店」

(企業家倶楽部2012年1・2月合併号掲載)

衛星放送で一敗地にまみれた増田宗昭。しかし、挫折にもめげず、カルチュア・コンビニエンス・クラブの株式上場、Tポイントカード事業の拡大、インターネット戦略と矢継ぎ早に手を打つ。還暦を過ぎても、青年のように若々しい。増田にはいつも 青春の香りが漂う。【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、土橋克寿

代官山に大人TSUTAYA誕生 
 高級ファッションの街として知られる東京・渋谷区代官山。2011年12月2日、旧山手通り沿に洒落た本屋が出現した。カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の「代官山蔦屋書店」である。

 約3600坪の敷地面積(代官山T-SITEを含む)に3棟の書店・ビデオレンタル店とレストランなどの専門店からなる。CCC社長の増田宗昭が“森の中の図書館”をイメージして、プレミアムエイジ(中高年)向けに開発した新TSUTAYAである。09年秋から構想を練り、2年越しで完成させた。

 2日の夕刻、黒のタートルネックのセーターとダークジャケットを身にまとった増田はにこやかな表情で祝いに駆けつけた招待客を出迎えた。「ようこそ、いらっしゃいました」「昔懐かしい本や映画のDVDが並んでいますね。ここはわれわれ中高年のレジャーランドだ」「そうです。“大人TSUTAYA”なんです」。増田は会心の笑みを浮かべて答える。

 TSUTAYAといえば、若者文化の代名詞。10代、20代の若者はTSUTAYAで映画や音楽のDVDを借りて、文化やファッション情報を吸収するとともに、独自の若者文化を作り出した。TSUTAYAは文字通り文化(カルチュア)のコンビニエンスストアであり、発信基地だった。

 そのTSUTAYAが若者だけでなく、プレミアムエイジ向けの店舗を開発したのは何故か。増田は次のように説明する。

「日本の人口構造は1947年(昭和22年)から49年(同24年)に生まれた団塊の世代約800万人が重要な位置を占めている。この団塊の世代が日本経済の成長エンジンとなり、日本を世界2位の経済大国に押し上げた」

「そして、90年に団塊世代が50歳になる一方、団塊ジュニアが就職、再び安い労働力が提供された。この時が日本経済のピークで、これ以降、日本経済は下降曲線をたどっている」

「TSUTAYAの主要顧客は20歳代の若者。しかし、若者は毎年減っているので、今までと同じ顧客構造であれば、TSUTAYAの主要顧客である20歳代は毎年1%ずつ減って行く」

「このジリ貧状態から脱却するためには顧客構造を大胆に変えなければならない。つまり、現在10%に満たない50歳、60歳代の顧客を20から30%に増やさなければならない」

 そこで、大人の街といわれる代官山にプレミアムエイジ向けのTSUTAYAを創ることになった。

MBOで夢を追う

 この構造転換にはリスクも伴う。若者一辺倒から中高年層まで取り込むブランド戦略の転換は一時的には業績低迷につながりかねない。そういうこともあって、C C C は2011年7月にMBO(経営陣による企業買収)によって、株式市場から撤退、投資家の目を気にせず自由に事業展開することにした。そのためCCCは841億円の借り入れをして、大変身を図ることになった。

 還暦を越えての大冒険。気をもむ友人も多いが、増田は常にロマンを追いかけ、それゆえに窮地に立つことを恐れない。増田は数多くの試練にぶつかりながら、経営者としての幅を広げ、事業を拡大してきた。

 ディレクTVへの挑戦も深い傷を負ったが、多くの教訓を増田は得た。衛星放送事業では増田は終始、大手企業のテクノクラートたちに悩まされた。増田がディレクTVのキラーコンテンツとして、フォーミラーワン(F1)を誘致しようとした時、テクノクラートたちは一斉に反対した。中でも米ヒューズ・エレクトロニクス社の取締役は反対した。

「インディ500は知っていてもF1の魅力を知っている者はほとんどいなかった」と増田は自著「情報楽園会社」で打ち明けている。

 増田がF1誘致に熱心だった時、ヒューズ社のテクノクラートたちがヒューズ社の会長、マイケル・アームストロングに「増田は一人でものごとを決めたがる」と訴えた。ひと通り不満を聞いたあと、テクノクラートたちをジロリと見回してアームストロングはこう言った。

「この中で、自分で会社を起こした者はいるか」ー。創業経営者でもないお前たちには増田の気持ちは分からないだろう。増田の思い通りにしてやれ、と言いたかったのだろう。

 傍らでこのやりとりを聞いていたディレクTVジャパン会長の池貝庄司は、さすがアームストロングは大物だ、と思った。

 もし、あの時、増田の提案通りF1を誘致していたら、ディレクTVは評判を呼び、ユーザー数を増やしていたかも知れない。

 増田は衛星放送事業では一敗地にまみれた。98年9月、ディレクTVジャパン社長を解任され、同事業から手を引いた。しかし、今振り返って見ると、解任されて良かった。あのまま突き進んでいたら、CCCの投資額200億円はもっと膨らみ、しかも1円も戻って来なかっただろう。解任という形で強制的に同事業から手を引かされたため、投資資金の大半を取り戻すことが出来た。

 増田は冒険好きだが、慎重な男で、衛星放送事業に注ぎ込むカネは当時のCCCの年間キャッシュフロー50億円の4年分、つまり200億円と決めていた。もし、同事業が失敗し、200億円の全額が回収不能になっても「4年で取り戻せる」と計算していた。

 解任そのものは不名誉なことだったが、日本興業銀行東京支店長の齋藤宏、CCC会長室員の森生明らの働きによって、被害額を最小限に抑えて、同事業から撤収することが出来た。

 7ヶ月後の99年4月には、CCCの上場を果たした。もし、衛星放送事業に拘泥し、損失額が膨らんでいたら、株式上場は遅れ、立ち直りは難しかったかもしれない。その意味では社長解任は不幸中の幸いだったと言える。

 2000年春には、楽天が上場した。増田は楽天社長の三木谷浩史がディレクTV設立の際、日本興業銀行のスタッフとして、一緒に仕事した関係で楽天に投資した。そのキャピタルゲインでディレクTVで被った個人的損失をほぼ相殺出来た。幸運はどこに転がっているか分からない。

Tポイント事業花開く

 グループの売り上げはピーク時の2009年3月期には2207億円、経常利益160億円に達し、ディレクTVの後遺症はほとんどなくなった。同時に、新事業が花開き始めた。Tポイントを発行する「アライアンス・コンサルティング」事業である。Tポイントカードを小売業共通のカードとして、普及させ、販促活動や顧客分析に活用するもの。同カードの利用者数は2011年10月末現在で3859万人に達した。

 TSUTAYAの顧客向けに発行したカードに03年10月からTポイントを付けてから瞬く間に発行枚数を増やして行った。06年10月、TカードをTSUTAYAだけでなく、他の小売チェーン店でも使えるようにしたのが、Tカードの躍進につながった。「ひと言で言えば、Tポイントを円から基軸通貨のドルにしたからだ」と増田は胸を張る。

 セブン&アイグループの「nanaco(ナナコ)」のように独自のカードを持っているチェーン店は、自社グループ内では使えても、他のチェーンでは使えない。Tカードは企業間の垣根を越えて、顧客がどこの店でも使えるようにしたのがミソ。正にコロンブスの卵だった。

 Tポイントの仕組みを簡単に説明しよう。顧客が買い物をした際、このTカードを差し出すと、100円に付き1円のポイントが付く。仮に1000ポイント貯まったら、Tポイントの加盟店だったら、どこでも1000円分の買い物が出来るという仕組み。

 単純な仕組みだが、店舗側にとっては、顧客の拡大など販促面で大きな威力を発揮する。

 3859万人のカード会員が買い物をするたびに、マーケティング情報がCCCのデータベースセンターに蓄積される。例えば、ある店舗で食品の新商品を発売したとする。その場合、新製品を購入したカード会員に「価格に満足しているか」「味に満足しているか」「もう一度買うか」などアンケート調査し、その情報を店舗にフィードバックする。店舗は新製品の顧客満足度をある程度つかめ、次の新製品開発に役立てることができる。

 そんな難しいマーケティングの話より、Tポイントグループに加盟しただけで、極端に言えば、3859万人の新規顧客をつかむことになる。こうしたメリットを期待して、ファミリーマート、新日本石油、キタムラ、ドトールコーヒーなど有力チェーン80社がTポイントグループに加盟した。2010年3月には、同グループを全国に広めるために、女子プロゴルフのトーナメント、Tポイントレディースを鹿児島県で開催した。

世界一の企画会社めざす

 Tポイントカード連合結成で自信が蘇った増田は創業時から抱いていた企画会社構想を再び鮮明に打ち出した。CCCはビデオレンタルチェーンのフランチャイズチェーン(FC)本部としてスタートした。しかし、増田は単なるビデオレンタルチェーンのFC本部で終わるつもりはなく、初めから世界有数の企画会社を目指した。そのためには、マーケティング情報の蓄積が重要と判断、創業2年目で資本金100万円の時に1億円もする大型コンピューターを導入した。増田はマーケティング情報を丹念に集めて行けば、将来大きなネットワークバリューを発揮すると踏んだのである。創業期からの地道な積み重ねによって、現在TSUTAYA店舗数1413店、Tポイント会員3859万人、ツタヤオンライン1500から2000万人、カカクコム月間利用者3530万人の消費動向を把握する日本最大のデータベースマーケティングの企画会社を実現したのである。

 同社の企画本部にはTカード加盟店のマーケティング情報が蓄積されており、加盟店の要望に応じて、マーケティング情報を分析、加工できる。データベースセンターから企画本部の大型スクリーンに次々に映し出されるマーケティング情報を見ていると、大学かシンクタンクの情報センターにでもいるような錯覚に襲われる。

 今、産業界は08年秋のリーマン・ショックを境に、大きな構造転換を迫られている。石油大量消費型産業から環境重視型産業へ、店舗販売からネット販売などあらゆる分野で構造転換を余儀なくされている。

 その時、必要なのがデータに基づいた市場分析だ。そのタイミングにあわせるかのようにCCCはマーケティング情報を豊富に持ち、データベースマーケティングの企画会社として急浮上してきたといえる。

ネット戦略にも着手

 こうしたデータベースマーケティングが可能になったのは、Tカードの利用者が3859万人にも達したからである。増田はこの数字をさらに増やすため、幾つかの手を打っている。その一つがネット戦略である。99年7月にスタートしたツタヤオンラインは映画などの新作情報や店舗情報を知らせるサイトで、携帯電話でクーポンも提供している。

 インターネットの情報はすべてデジタル化され、CCCのデータベースセンターに直結している。「ネット戦略はデータベースマーケティング会社を標ぼうするCCCにとって、欠かすことの出来ない戦略部門」と増田は言い切る。

 そうした背景から、増田はネット関連のM&A戦略を強化した。その一つが価格比較サイトのカカクコムへの出資である。カカクコムは家電製品、自動車、家具などのあらゆる商品の価格を比較するサイトで、3530万人の月間利用者が毎月10 億強ページビューも閲覧している価格比較のナンバーワンサイト。CCCは09年5月、180億円でデジタルガレージからカカクコムの発行済株式の20・28%を取得、傘下に収めた。

 インターネット大手企業、米国グーグルの利用者がキーワードを打ち込むと、全世界のサイトからキーワードに関連した情報を瞬時に選び出し、利用者の前に並べてくれる。グーグルやヤフーは人々が何かを選択する時、ネット利用のプラットホームとして欠かせない存在だ。カカクコムは商品を価格で選択する場合のプラットホームになっている。プラットホームを制するものがネットを制するとすれば、商品価格のプラットホームを押さえたことはデータベースマーケティング戦略を推進する上で大きな武器となる。1万841店の出前を揃えている出前館もプラットホーム戦略の一つだ。

 最後に「代官山蔦屋書店」に戻ろう。

 第1棟に入る。1階は書店。木製の本棚。バッハの音楽が流れる中で、歴史、文学、宗教の本などを眺める。それだけで、教養が高くなったように錯覚する。

 2階は映画のコーナー。エスカレーターで2Fに上がると、1960年代、70年代の映画の世界に引き込まれる。「市民ケーン」「カサブランカ」「日本侠客伝」「悪名」「嵐を呼ぶ男」など昔懐かしい映画のDVDなどが並ぶ。

 第2棟の2階は「Anj in」という名のカフェ。一杯800円のコーヒーは少々高いが、本や新聞を読みながらゆっくりした時を過ごすことが出来る。

 第3棟の2階は音楽コーナー。著名アーティストのギターなどが飾ってある。増田宗昭が贅沢に創った“青春譜”だ。

 還暦を過ぎてもなお青春の息吹を感じさせる増田。これからもわれわれを楽しませてくれるだろう。

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