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【地球再発見】vol.8 日本経済新聞社客員 和田昌親

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企業家倶楽部アーカイブ

「米墨戦争」の歴史が蘇る

(企業家倶楽部2017年6月号掲載)

 アメリカ西部にロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ、ラスベガス、サンタフェといった有名な町がある。すべてスペイン語の地名である。なぜか。その昔みんなメキシコだったからである。

 1613年、仙台藩支倉常長(はせくら・つねなが)の遣欧使節団は太平洋を渡り、メキシコを経由してローマ法王庁に到着した。なぜアメリカ経由ではなくメキシコだったのか。実はそのころの北米西海岸はどこに寄港しようとメキシコの領土だったのである。

 およそ400年経って、あのトランプ米大統領が誕生する。メキシコからの不法移民を追放するとか国境に壁を作るとか暴言を吐いている。ちょっと待ってほしい。彼はもう一度小学校で大事な史実を学びなおしたほうがいい。

 それは「米墨戦争」である。1846年から2年間、アメリカとメキシが領土争いをした。勝ったのはアメリカで、その結果メキシコは今のカリフォルニア州、ニューメキシコ州など国土の3分の1以上を失った。

 アメリカにとってカリフォルニア州を得たことは、米墨戦争後のゴールドラッシュに加え、太平洋岸への出入り口を確保する地政学的余禄もあった。戦争の結果とはいえ、こんなラッキーなことはない。

 日本流にいえば、メキシコに「足を向けて寝られない」はずなのに、メキシコを敵視する言動を繰り返している。それは御門違いというもの。

 不法移民1100万人をメキシコに戻し、アメリカ生まれの家族と離れ離れにし、3200キロメートルの国境に壁をつくるという。メキシコ人はあきれているだろう。

 一時期、不法移民が大量にいたのは事実。しかし、移民国家アメリカは滞在を黙認し、移民2世、3世はアメリカ社会に根付いた。今、アメリカには西海岸と南部を中心に4000万人以上のラティーノ(ヒスパニック、中南米系住民)がいる。その多くはメキシコ系だ。数年前の数字だが、18歳以下のラティーノの比率はロサンゼルスやサンアントニオは50%以上、マイアミは40%以上に達する。

 ラティーノがアメリカを支配するパワーを持つのはそう遠い将来ではない。メキシコ人はアメリカに根付いたと言ってもよい。

 メキシコとアメリカの距離が縮まったのはNAFTA(アメリカ、メキシコ、カナダ3国の北米自由貿易協定)の影響も大きい。94年にNAFTAが始まって以来、3カ国の貿易量は格段に増えている。アメリカの対メキシコ・カナダ向け輸出は全体の34%、同輸入は全体の27%を占める。

 そのNAFTAについてもトランプ大統領は「不公平。再交渉する」と言っている。アメリカ企業などがメキシコに工場投資するからアメリカの雇用が失われている。だからNAFTAの関税ゼロのルールを廃止して、高率の輸入関税をかけるように変更するつもりだ。早ければ6月ごろにも「再交渉」が始まるとみられている。

 アメリカのメキシコへの輸出は年間1870億ドルだが、メキシコからの輸入は年間2980億ドルに達する(数字は2015年度)。これだけの輸入に高関税をかければ、その瞬間から報復関税でアメリカが困ることは目に見えている。

 日本からのメキシコ進出企業数(拠点数)はおよそ1000社にのぼる。日産をはじめ、マツダ、ホンダ、トヨタがアメリカへの輸出拠点としてこぞって工場進出、または準備中である。今のところ日本勢は「既定路線に変更はない」と口をそろえるが、NAFTAが「不自由な貿易協定」となれば、メキシコだけでなく、世界各国の企業が迷惑する。

 少々突飛な発想だが、トランプ氏に「悪魔のささやき」を聞かせたい。

 ――メキシコ人をいじめるといずれ反撃を受ける。ひょっとするとカリフォルニア州の「独立運動」が動き出すかもしれない。メキシコ人は「米墨戦争」を忘れていない――。

Profile 和田昌親(わだ・まさみ)

東京外国語大学卒、日本経済新聞社入社、サンパウロ、ニューヨーク駐在など国際報道を主に担当、常務取締役を務める。

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