会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2011年8月号掲載)
日本セラミックは、その豊富な経験と技術力を駆使し、顧客一人ひとりに適した多彩なセンサを開発している。「創業以来、逆境を糧に成長してきた」「要領の悪い者ほど奇抜なアイデアを考える」「借金すると、思い切った設備投資が出来ない」と語る谷口義晴社長には、世界で戦い抜いてきた古武士のような風格が漂う。( 聞き手は本誌編集長 徳永卓三)
一時的な商機には左右されない
問 東日本大震災の影響はどうでしたか。
谷口 影響は自動車関係に出ました。私たちは自動車の安全機器なども納品しており、特に日本の大手企業とは強い関係にありますので、大手メーカーの落ち込みが私たちの減収に直接繋がったのです。
問 福島原発の問題もいまだに収束しませんが、放射能の検知器も作れるのですか。安くて性能がよければ欲しいと思います。
谷口 作れます。エネルギーにはそれぞれ波長があり、どれを対象にするかを考えればいいのです。ただし、限定を広げるほど性能は落ちます。一番簡単な例は、ビールの泡でしょう。あれは、宇宙から飛んできた放射線の刺激によって生じるのです。
問 是非日本セラミックで、放射線の測定器を作っていただきたいですね。
谷口 しかし、人々も1年程で関心が薄らいでしまいますので、ニーズは先が見えています。既存の設備を持っているなら、長く稼動させればいいのですが、新規事業となると新しく設備投資をしなければなりません。
問 新聞やテレビで様々な報道がなされておりますが、今回の福島原発の放射能で神経質になることは無いのでしょうか。
谷口 成層圏を飛行機で飛ぶ際には、思った以上に放射能の影響を受けています。ただ、人間は自然の状態で受ける物質の影響に対しては十分抵抗力を持っています。
ただし、用心に越したことはありません。レントゲンなど、放射線を使った治療・診察機器は様々ありますが、本当は何回も受けない方が無難です。放射線というのは、針を身体に刺すのと一緒ですから、内部から破壊されてしまいます。しかも、目には見えませんし、すぐではなく、10年後や20年後に影響が出てくるのが一番恐いですね。新しい細胞を形成する箇所に放射線を当てると、DNAが破壊されてしまいます。そうすると癌になったりするのです。
顧客に応じて最適なセンサを開発
問 御社がシェアナンバー1を誇る赤外線センサとは、どのような仕組みで検知できるのでしょうか。
谷口 セラミックの配合によります。6、7種類の酸化物を混ぜるのですが、配合と混ぜ方によって、熱から電気が発生しやすい素材ができるのです。熱の変化が電気の変化に繋がるようなものが、赤外線センサになります。赤外線とはすなわち熱なのです。
問 人体が赤外線を発しているのですか。
谷口 私たちの身体は、約36度の体温を持っていて、熱を放射しています。そのエネルギーを受け、熱の変化を電気に変換したものが赤外線センサです。
また、私がこうしてお話している間にも、私の声帯からそちらの鼓膜に向けて20から20000ヘルツの振動が走っています。これを可聴(聴くことのできる)音帯と言います。セラミックに電気をかけると、与えた電気の周波数に比例した音波が発生するのですが、そのように可聴音帯の周波数よりも高い領域で振動を出したり、あるいは受けたりしたものを超音波と言います。そして、ジルコニアやチタンなど何種類かの原料を足すと、超音波の振動に対して敏感な電気を起こす素材が生まれるのです。私たちは、そうした素材を目的に応じて簡単に作ることができます。
磁気センサは半導体のような機能を持っており、磁界の強さに対して、比例した電気が発生します。そこで、モーターなどにおける磁界の強度を検知する磁気センサになっています。
今度はそれを利用して、電流センサも作っています。電気自動車など、特に効率の良い電気の使い方をしなければならないものに使用します。電気自動車の制御のため、使用している電気量や最適な発電量など、効率を高めるために様々な情報を提供するのが電流センサの役割です。
問 センサの種類はどのくらいあるのですか。
谷口 お客様の数だけあります。一人ひとりのお客様に個性を持たせる必要があるのです。日本の有名な自動車会社に提供している商品は信頼性がありますので、「彼らが使っている商品をそのまま欲しい」というお客も中にはいます。でも、そう簡単にはいきません。精密な検査を何度も積み重ね、ようやく完成したものを右から左へ流すということはできないのです。
お客様に対しても、一人のお客様に一つの商品とは限りません。なぜなら、自動車産業では機種が一つ変わっただけで部品も全て変わるからです。それぞれの特徴を生かした形のものにしなければなりません。
それに、例えば高級自動車と大衆車に同じセンサを使用するのでは、下から見ればオーバースペックですし、上から見れば不愉快に感じる方もいるのです。
問 なるほど。様々なセンサを開発する時、材料の混ぜ具合で変わるのですか。
谷口 例えば、寒い所と熱い所では元々の条件が異なりますので、組成を変えていかなければなりません。
ですから、バッテリーなどと同様、寒い地域に対しては寒冷地使用のものを作ります。一見しては分かりませんが、それぞれの機種の特徴を最大限活かしきるセンサを作っていかなければならないのです。
背空の陣で競争に挑む
問 ホームページに「背空の陣」という言葉が載っていました。「背水の陣」は聞いたことがありますが、「背空の陣」とはどのような意味なのでしょうか。
谷口 あれは、イギリスの故事です。兵士を丘の上に上げ、後ろの梯子を外してしまうのです。すると、前から来る敵を殺さなければ殺されるという状況に陥ります。後ろは断崖絶壁ですから、まさに背空というわけです。
お客様とお話しする時でも、私たちが適性を考えてはじき出したコストを提示させていただき、それで拒否されれば交渉決裂、承認していただければ商談成立です。
問 まさに、最初に提示した額が最終の額であるという真剣勝負をやっておられるわけですね。
谷口 提示する額は、適正価格であって最低価格ではないのです。適正価格を確保しなければ、お客様に納得していただけるような商品は作れません。最高の製品を適正な価格で提供することが、私たちの使命なのです。
問 「背空の陣」という言葉は、創業時から社員に言って聞かせているのですか。
谷口 どちらかと言えば、自分自身を叱咤するための言葉です。背水の陣では甘い。いくらでも泳げるし、逃げられます。背空の陣ならば後ろは絶壁ですので、本当の意味で必死になるしかありません。そうでなければ、100%以上の力は出ないのです。
問 企業間の競争というのは厳しいものですね。御社の場合、工場も絶対に見せないと聞いております。
谷口 同業他社に何かしらのヒントを与えてしまいますので、他人には一切見せません。そこまでしなければならない理由には、セキュリティーの関係もあります。信頼性の高いセンサを、人命と財産を守るという共通の目的のために提供している企業ですので、私たちはお客様の秘密事項を完璧に守り通さなくてはならないのです。
世界と対等に渡り合う
問 現在イギリス、中国、フィリピンに工場をお持ちですが、最も重点を置かれているのは中国なのでしょうか。
谷口 そうですね。海外に出ましたのは、世界で一番優れていたイギリスのフィリップス社の赤外線事業を、交渉して買収したのが始まりです。
1975年に会社を設立し、会社設立10年で、小さな企業ではありますが、この地球上の資本主義諸国にある経済圏ではセールスネットワークを引くことができました。しかし、そう考えると、まだ社会主義諸国が残っていたことに気付いたのです。以来、「共産圏にビジネスのパートナーを作る」と言って東奔西走し、1986年、ついに中国科学院とのパートナーシップも持って、上海に進出しました。
問 現在の中国の状況をお教え下さい。
谷口 工場は約6つです。従業員は全員中国人で、多い時では約3000名、現在は約2000名おります。中国の方は帰省したら3分の1は戻らないということも少なくありません。まさに何でもありの国ですので、自分の会社より昼食のおかずが美味しかったという理由で翌日から別の会社に行ってしまうこともあります。
問 中国人を扱うのは難しいですね。
谷口 信頼して開発の中心になってくれた人たちが、技術を身に付けると突然競合会社を設立することもありました。そういう面では迂闊に技術を教えられませんので、組成などの場合、6種類の原料のうちの1種類はダークボックスで持っていきます。
問 製造は中国側に委託されているのですか。
谷口 たとえ資金面での繋がりが無くても、彼らの作る装置を見て任せられると判断すれば、仕事を委託します。その場合は、こちらからお金を払うので、心配ありません。
問題は、相手にお金を払ってもらう場合です。「相手を騙し、いかに借金を多くして、その後払わないかということこそ商売の腕だ」と言うとんでもない人間も稀にいますので、油断はできません。
問 では、一番肝心なところは、日本の工場でお作りになるのですか。
谷口 開発工程は全て国内で、何十人かの人間で行います。中国での競争に負けては話になりませんから、向こうに悪い物を持って行くわけにはいきません。
新しいものを作るということは、コストがかかって大変なことです。しかし、たとえ1%でも感度が良いものを作れば、そこで勝負が付くほど、その1%は尊いのです。
問 フィリピンにも大きな工場をお持ちで、規模も拡大されています。フィリピンの工場を作る際、社員の企画を見て、「その2倍かけていいからやりなさい」とおっしゃったそうですね。
谷口 潜在的なマーケットを掘り起こし、どのように拡張していくかは、私自ら査定しております。
問 中国と比べてフィリピンの印象はどうでしょうか。
谷口 全く違いますね。中国には中国の良い所がありますが、フィリピンの方々の強さは愛社精神が素晴らしいことです。
問 愛社精神が無いと任せることも出来ないし、育てる気にもなりません。そうした面では、フィリピン人は御社の社風に合うのではないでしょうか。
谷口 今のところは極めて順調です。昨年少しばかり土地を買増して、昨年秋から工場を建設する予定を立ててきました。その工場では、500から700人が雇用可能です。
要領の悪い者が奇抜な技術を考える
問 谷口社長も現役で発案や企画をされるのですか。
谷口 新製品開発のアイデアも浮かびますが、今では直接提言することは少なくなりました。上の者が、新しいアイデアを若い人からもぎ取ることは簡単ですが、そのようなことを繰り返していては、次からアイデアが出てきません。こちらは種蒔きだけして、部下からアイデアを出してもらったら、「ええこと言うな」と言ってやるのです。若い人たちに、「自分のアイデアで新しいモノを作っているのだ」という意識を芽生えさせることが肝要です。
問 社員教育に関して、心がけていることはありますか。
谷口 私自身も技術者ですが、気を配っているのはただ一つ、社員のやる気を損なわないようにすることです。組織の長が軽率なことを言って、伸びようとしている芽を摘まないように神経を使っています。
「お前なんちゅう阿呆なことやったんだ」と怒鳴りたくなることもありますが、「奇抜で面白いことをやったな。さらにその道を踏み込んだらどうなるんだろう」と失敗を褒めてやるのです。すると、技術者としては面白くなっていきます。
私たちの会社にも若者が沢山おりますが、同じ失敗する人は必ずいます。そうした時、頭ごなしに叱ってはいけません。大器晩成という言葉もありますから、「お前にはモノ作りの適性が無い」と突き放すのでは無く、気長に待つことです。
問 初めは上手く行かなかった人が、ある時いきなり上達することもあるのですか。
谷口 やはり経験が必要です。経験は、特に失敗するためにあります。その失敗を糧にすることで、次のステップへ進めるのです。ある程度失敗を重ねながら、それが自分の血となり肉となっていくものだと思います。
問 技術者にも個性があるでしょうから、大器晩成型もいれば、すぐ要領を掴むような人もいるのでしょう。どんな技術者が開発に向いていますか。
谷口 要領の悪い人間の方が、やる気で取り組みますから、奇抜性を持ったことをやります。常識外の行為の結果として新しいものが出来ることもあるのです。それが開発なのでしょう。
要領よくやってしまう人には、並のものしか出来ません。優越感を持った人は、他人のアドバイスも聞き流してしまいます。
問 社員評価はどのようにされているのですか。
谷口 日本セラミックでは事業部制を敷いており、グループ内では競争原理も働かせています。各事業部の事業部長を中心に、経営のいろはを一人ひとりが学ぶ風土を育てているのです。
個人に関しては、事業部長に任せています。例えば、各事業部は功績によって給料等の総額が決まるのですが、その配分は事業部長に委任しているのです。そして私は、事業部長の采配の評価を行うという具合です。
大切な従業員の生活の糧を、私たち自身が作っていかなければいけません。その一員なら、コスト意識を大切にし、人様に負けないようなスピードで、性能を追求していく。事業部制では、自らの努力の結果が明確に数字となって出てきますから、それでいいと考えています。
問 今、社長自ら努力されていることはありますか。
谷口 今は、足で稼ぐ技術者をいかに育成するかに努めています。現在世の中に無いものを具現化するには、歩くしかありません。現場へ出向き、自らの5感で確実な情報をつかむ。その情報を元に、次の世代の企画をプランニングするのです。センサ技術の商品化に際しては、私自身も自宅で試すことが少なくありません。家庭内では、人間と機械のコミュニケーションツールとしても随所に利用されており、家には100以上のセンサが試験的に設置されています。
逆境こそ成長への鍵
問 鳥取の良さを教えてください。
谷口 前の会社で厚木に何年間かおりましたが、帰ってきてからはずっと鳥取にお世話になっています。鳥取県民は粘り強く、じっと待つ忍耐力を持っています。また、土地も食料もあるので、生きるということに関しては強いでしょう。
問 私も鳥取に来て、豊かさを感じました。この本社ビルも立派なものですが、これほど広い空間を取れるのは地方ならではですね。
谷口 そうですね。この工場も本社ビルも約2年前に建てたのですが、少し高く買い過ぎました(笑)。ただ、土地を売った方には喜んでいただけましたので、地元への還元のようなものだと思っています。
それに、幸いにも借金はしておりません。面白いもので、銀行が私たちにお金を貸してくれたことは一度も無いのです。また、日本の大企業は相手にしてくれませんでしたので、世界に出るしかありませんでした。逆境でも、道は探せばあるものです。
問 その時に不利な条件だと思っていたことが、後で考えてみると自分の成長に繋がっているということはよくありますね。
谷口 その通りです。国内で商品がすぐに売れて儲かっていたら、マーケットを日本だけに絞って足元ばかり見ていたことでしょう。また、銀行がお金を貸してくれていたら、今頃借金ばかり多くなっていたと思います。借金なんてあったらかないません。前の会社では、企画書を上司に持って行くと、「借金状態を見ろ」と言われて取り合ってもらえなかった経験があります。
問 しかし、これだけの会社になりますと、逆に銀行から「借りてくれ」という催促が来るのではないでしょうか。
谷口 借りないことを知っているせいか、あまり来ません。現在も銀行からの借入は全くありませんし、今後もそれを貫いていきます。若者がやる気を出して提案書を持ってきても、借金のことを考えてしまうと本気で前向きには走れません。これからも、利益の範囲内で投資をしていくという堅実経営で成長していきたいと思います。
■ p r o f i l e
谷口義晴(たにぐち・よしはる)
1936年11月3日、兵庫県宍粟市山崎町生まれ。59年3月、立命館大学理工学部卒業。同年4 月、 日本フェライト工業株式会社(現:日立金属鳥取工場)入社。75年2月、リストラにより同社を退職。同年6月、日本セラミック株式会社設立、代表取締役に就任、現在に至る。98 年3 月、鳥取大学工学部工学博士取得。同社は国内外の市場に積極的に展開、セラミックセンサの分野で、世界シェアNo.1企業に成長している。現在ではセンサのみならず、その応用商品、半導体センサ等新分野へも進出しており、新製品の開発を続けている。