会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2020年12月号掲載)
誰もが当たり前に使い、持ち歩いている「鍵」。その文化は紀元前から積み重ねられ、人類と共に成長を遂げてきた。「忘れてきたのでオフィスに入れない」「無くしてしまった」「鍵を持っている人が出勤するまで待つ」など物理的が故に生じる問題は誰しも経験があるだろう。様々な技術でデジタル化が進む今、そのテクノロジーを駆使して、鍵を持ち歩かない「キーレス社会」を作るため邁進するのが河瀬航大社長率いるフォトシンスである。(文中敬称略)
フォトシンスの事業は主にIoT関連機器の研究開発と「Akerun入退室管理システム」の開発・提供である。「Akerun入退室管理システム」は貼り付けるだけでオートロック空間を作ることができる、IC(集積回路)で解錠可能な世界初の後付け型スマートロックである。後付けであるが工事は不要。さまざまな機構のドアに対応しており、鍵のつまみに被せるように貼り付けるだけで設置できる。また、ほとんどのIC 規格に対応しているため、予め登録された社員証や交通系ICカード、携帯アプリによってすぐに解錠できる。更にこの鍵権限はクラウド上で管理。曜日や時間帯を指定しての権限の付与・剥奪、「誰が・いつ・どの扉を利用したか」の入退室履歴やそれを活用した勤怠管理もできてしまう。どんな企業にも扉はつきもの。「ビル全体ではなく、テナント、お客様自身がセキュリティを選んでいます」と河瀬は後付けシステムである強みを語る。
「かっこいい」から始まった
大学を卒業し、そのままIT企業に就職した河瀬。この「Akerun」が誕生したのは食事会での他愛のない会話がきっかけであった。「鍵を無くしてしまった経験がある人がいたり、恋人に鍵を渡すのが大変だったり。持ち歩くのが面倒、オートロックに締め出されたなど普通の話をしていました」。そんな会話の中で出てきたのが「今の時代、スマホで鍵を開けられたらかっこいい」という意見だった。こうして何気ない一言から始まったプロジェクト。知り合いのつてを辿ってエンジニアを集めた。秋葉原へ行き、3Dプリンターで試作を作っていると、出資や事業提携の話、「買いたい」という声を聞くことが増え、わずか6名で起業するに至った。
起業したは良いものの、無いもの尽くしのスタートアップ。中でも辛かったのは「スピードと品質のバランス」であったという。「周りにIoTのベンチャーがいなかったので、物づくりのやり方もわからない。とは言え時間を決めずにやっていたら競合が出てくるので、ここまでに絶対出そうと決めていました」。様々な工場を周り、頭を下げて部品の提供、工場のラインづくりをしてもらい、全員で一丸となってものづくりをしていった。
そして2014年9月の起業からわずか半年あまり、15年3月に世界初の後付け型スマートロック「Akerun Smart Lock Robot」を発表した。「世界で初めて鍵が無くなった瞬間を自分たちで作りだしてしまった感動と、これはいけるという確信を感じました」。きちんと動いてくれるかという不安と期待が入り混じった、我が子を見守るような気持ちだったという。
思い切った方向転換
リリース当初は家庭用に販売をしていたが1年後の17年、法人向けに切り替えを決める。世界初のスマートロックシステムであり当然競合はいない。販売も順調であった。しかし、話題性で購入していくケースが多く、購入後も活用している「アクティブユーザー」の数は増えていかなかった。「第三者に鍵を発行し、スマートフォンで解錠する」というAkerun本来の働きは、家事代行やベビーシッターを利用する家庭には需要がある。全国的に見たらごく一部のユーザーにすぎない。社会に対してインフラを作るのは難しいと感じていた。「家庭だけではなくホテルやオフィスのお客様もいたのですが、一番有効活用していたのはオフィス向けでした」。従業員やアルバイトの入れ替わりがあるようなオフィスでは、その度に合い鍵を作ったり、返却してもらう必要がある。クラウド上で鍵の発行と剥奪が管理可能な「Akerun」のシステムが多くの企業ニーズと一致していたのである。そこに気付いた河瀬は思い切って家庭向け販売を中止、法人向けに切り替え、17年7月、世界初のNFC(近距離無線通信)で鍵が開くスマートロック「Akerun Pro」をリリース。現在は4500社もの企業が導入しており、セキュリティニーズが高まる昨今、問い合わせも年々増え続けているという。
全員がクリエイティブな働きをするために
理科教師であった父親の影響で、いつでも理科の研究をやっているような子供だった河瀬。「何か自分の作ったもので世界を変えていくような、面白いことをやりたいと思っていた」。「Akerun」を開発し「キーレス社会」を実現することは、フォトシンスの目標であり、河瀬が幼いころから思い描く自分のあるべき姿でもあった。
ただ、自分だけが楽しく働ければいいわけではない。Photosynthでは「つながるモノづくりで感動体験を未来に組み込む」というミッションのもと、「Future Oriented(未来志向)」「Greater Challenges(挑戦)」「Self-Critical(自責)」という3つのマインドを設定している。当事者意識で、未来をイメージした遊び心を持ち、壁を突破していくことを楽しむ。そして「何が何でもこの事業を成し遂げる」という気概を持って楽しめる人材を大切にしている。他部署と仲良くなるためのしくみや社内からの声で福利厚生を作ったり、心地よくクリエイティブな働きができるような環境にも配慮している。
この楽しみながら働くためのしくみは「最後は人間としてつながって、信頼し合えるかがすべて」という河瀬の考えである。家庭用から法人向けに切り替えを決めた際、もう資金は底をつく寸前であった。当時20人ほどだった社員に現状を説明し、「あと2か月で潰れます」とまで言ったが、去る者はいなかった。「人間として好きだから、自分だけ先に辞めるなど考えず、ダメだったら仕方ない。だからみんなで全力で頑張る」という一致団結している家族のような感覚を覚えた。何をするかよりも誰とするか。人を大切にする大きなきっかけとなった。
鍵を選ばない時代へ
河瀬が思い描く未来は創業時から変わらず、物理的な金属の鍵のない「キーレス社会」を作ること。「僕ら単体だけで事業を続けることもできますが、1年でも早く世界に実現したいので、アライアンスも含めて推し進めていきたい」と新しい世界の実現に向けて意気込みを語る。そして「ものづくりは日本の強みである」と考える河瀬。これまで積み重ねを糧に、今後の世界進出にも自信を見せる。この先、オフィスだけではなく住む場所もシェアする生活がやってくると分析する河瀬。そのタイミングで再び家庭向け商品も出すという。「鍵を回して開ける」ことを懐かしむ日はそう遠くないかもしれない。