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【松井忠光の経営道場】下 良品計画代表取締役会長 松井忠三

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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日本病を克服しグローバルに打って出る

日本病を克服しグローバルに打って出る

(企業家倶楽部2015年1・2月合併号掲載)

世界を見据えて展開を続ける無印良品。ユニクロやH&M、ZARAと並び、今や海外でも「MUJIが出店しているショッピングセンターは勝ち組」とまで言われる存在となった。しかし、ここへ至るまでの道のりがそう平坦だったわけではない。良品計画を率いる松井忠三会長の経営道場、最終回はグローバル戦略を語っていただく。

惨憺たる赤字を出し海外の厳しさを知る

 2014年2月期現在、無印良品は日本に385店舗、海外では24の国と地域に255店舗を展開しています。しかし、決してここまで順風満帆だったわけではありません。むしろ、失敗の連続と言ってもいいくらいです。

 海外に初めて出店したのは1991年。英国に1号店、2号店を作りました。現地百貨店にお店を作ったのです。趣のあるイギリス風の綺麗な建物でした。

 イギリスでは代表的な合弁の組み方で、資本を50:50で出します。すなわち、収益も赤字も半分を受け持つ、本当の意味でのパートナーです。しかし、この百貨店の業績が悪くなり、再建屋が乗り込んできました。その中で多角化ビジネスは外されていき、私たちMUJIも撤退を余儀なくされたのです。

 ここで学んだ最大の失敗要因は、パートナーと一緒に展開するリスクです。同床異夢という言葉通り、同じ箱に入っていても考えが異なっていた。経営の環境も全然違いますから、統合した時の状況は長く続かないのです。

 とはいえ、私たちはイギリスの他にも、ヨーロッパとアジアに積極的に店舗を拡大していきました。ヨーロッパに5店舗しかない時に、「これから店舗数を10倍の50店舗にし、200億円を売り上げる」という大号令を出したのです。

 出店の際は、いつでも撤退できるよう準備をしながら、注意深く行わなければなりません。しかしこれを怠ったため、出した店舗から全て赤字になっていきました。家賃も勘案せずにただ出店したことで、惨憺たる赤字を生み出してしまったのです。私が社長になった時は、これら赤字店舗の閉店処理から行わなければなりませんでした。

1店1店、地道に黒字化

 91年から2001年まで、私たちの海外ビジネスはずっと10億円単位の赤字を垂れ流し続けました。01年の香港再出店で02年にようやく黒字になりましたが、油断大敵。一度は撤退したところですから、負けた構造から勝つ構造に変えていかない限り、根本的にビジネスは立ち直らないと考えました。

 海外戦略を転換する上で一番やらねばならなかったのは、出店の仕方を変えることです。

 例えばロンドンは、売り場の坪当たり家賃が9万2000円。売り上げにおける家賃の比率は18・7%です。「デベロッパー天国、テナント地獄」と言われるロンドンにしては、うまく回っている方でしょう。しかし、ここでは契約期間も長く、賃料が上がっていく。売り上げでそれを上回っていかなければ、徐々に利益が確保できなくなってしまうのです。

 人件費や物流費は努力でコントロールできますが、家賃はコントロールが難しい。そして、不動産マーケットはそれぞれの国ごとに違う。この事実に、社長になってから気が付いたのです。

 この反省を踏まえて出店の仕方を練り、物件を紹介する仲介業者に頼ると良くないという判断を下しました。彼らは多くの成約を得るほど手数料を受け取れますから、質よりも数を狙ってきます。その結果、我々の出店すべき条件ではないテナントの中から選択して意思決定しなければならなくなるのです。

 したがって、ミラノに出店する時には、物件を自分たちで探しました。不動産屋で条件に該当するような建物を10個ほど洗い、この中から上手に一番いい場所を選んだのです。選択肢が10個もありますから、こちらとしても強気で交渉に臨めました。

 この物件は坪当たり家賃2 万3000円で契約ができました。売り上げに占める家賃の比率は10%ですから、ロンドンの約半分。この投資はすぐに回収して、1年で黒字転換しました。

 ブランドの浸透は思っている以上にゆっくりです。早く出て、ブランドを認知してもらい、黒字化する。すると、次に行ける。ブランドを浸透させながら、同時に黒字化も実現しなければなりません。

 ミラノは1年で黒字になりましたから、同じように別の地域に関しても調査を行い、トリノやローマといった主要都市に手堅く進出していきました。

 このように、1年に1店舗ずつ作って黒字にしていく。この戦略はドイツでもフランスでも変わりません。黒字にしながら国の数だけ毎年店を増やしていく。北欧やアイルランドなど、例外的にフランチャイズ展開することもありますが、基本的には直営店ですね。

 02年はアジア、03年はヨーロッパも黒字にすると、このあたりから出店ペースを上げ、海外の収益が劇的になって今に至ります。

満を持してアメリカ進出

 
 07年11月にニューヨークのソーホー地区に出店しました。私は、アメリカ進出は最後にすべきだと考えていました。ここは資本主義が最も行き過ぎた競争の激しい国です。それだけ難しさがあります。

 特にアメリカのマーケットに出た際、食器の大きさ一つとっても生活習慣が違う、価値観の異なる領域に我々の商品が通用するかどうかが一番の心配事でした。しかし、大きなフォークとナイフをアメリカ仕様だけに作るのも現実的ではないでしょう。

 結局、日本の品揃えをそのままソーホーに持っていきました。すると、予想外に売れたのです。小さくて性能の良いものはアメリカのマーケットにはありません。トイレブラシ、野菜の水切り、足を付けると簡単にベッドになるマットレス。こういうものが飛ぶように売れました。

 この店は開店初日、新記録の約800万円を一日で売り上げるという快挙を成し遂げ、同じくアメリカのハリウッドに大型店を出すまでの6年間、この記録が破られることはありませんでした。 
 08年にリーマンショックが起き、苦労もしましたが、11年には再び黒字になり、現在もアメリカ事業はそこそこ伸び続けています。

異質なる大国

 上海、北京、南京、成都、重慶。今、私たちは中国全土にむらなく出店しています。展開の仕方はヨーロッパと同じ。中国には一級都市が3都市、2級都市が30都市、3 級都市は300都市あります。3級都市と言っても人口は100万人いますから、頭数から言えば、ものすごいビジネスチャンスです。何と言っても13?14億人の人口がいますからね。

 ただ一方で、中国はものすごく難しい国でもあります。皆さん貪欲で、ものすごいパワーの塊の集団ですので、競争は厳しい。

 中国には全土を統一するデベロッパーはまだおりません。各省ごとに3つくらい巨大なデベロッパーがいて、この人達とうまくやらなければ中国でビジネスを展開するのは難しいでしょう。

 私たちは良い物件を選ぶ上で、デベロッパーといかに上手に付き合って、良い情報を早めにもらえるかが勝負。私も現地に行った際は、こうした人たちと必ず昼夜をともにします。一緒に食事をすれば友達になりますからね。

 北京大学のネットワークも強烈で、この国でビジネスをする上では無視できません。我々も社員を北京大学に入れました。すると、法務局で止められてなかなか意見が通らない事態が発生した時、大学の同級生の父が法務局のトップで、翌日中に問題は解消しました。中国は、こうしたことが現実として起こる国なのです。

 こうした中国だからこそ、出店する上でクリアすべき基準が日本とは少し異なります。例えば、お金を持っている若年層、経営者層、外国人がいること。あとカラオケがあるかどうか。結構中国人も好きなんですね。それから、テナントにユニクロ、ZARA、H&Mが入っていること。

 店舗の監査は、日本と同じようにかなり細かく行います。弊社のマニュアル「MUJIGRAM(ムジグラム)」があるのはもちろん、評価基準通りに点数を付けていって、オペレーションを改善させる。向こうの店舗は平均して70 点?90点といったところ。ちなみに、日本の店舗はほぼ100点が普通です。

語学力より人間力

 では、海外展開において、どのような人材を日本から送り込むべきか。

 まずは営業出身の人間。これは猪突猛進で頑張りますが、全体の経営や財務まで視野が及ばない。その国のトップになるからには、そうしたことも理解していなければいけない。

 次に管理・調整型の人材。これは全体の視野が広いが、馬力が足りず、やはりうまくはいかない。

 一番良いのはリスクを取って自分で考えて行動するタイプの人間です。何かあった時に日本に指示を仰いで、本国を見ながら仕事をしていては失敗する。

 駐在員が本社の指示を仰ぐとき、多くは担当部長などに電話するでしょう。本国の人間は現場の状況をよく分かっていないからリスクを取れず、返答がなかなかできない。すると業を煮やしてOKY、すなわち「お前、こっちで、やってみろ」ということになる。

 また海外事業では、日本病にも気を付けなければなりません。日本人が、日本語の通じる場所で、日本のやり方で業務をしているケースは多い。これが全くダメだということは想像できるでしょう。日本の常識は世界に行くと非常識になる。これが現実であり、日本の成功事例をそのまま持ち込んでも、ビジネスがうまく行くとは限りません。

 これに関して私たちが失敗したと思うのは、デュッセルドルフに作ったドイツの1号店。日本人も多いという理由で出店を決めたのですが、「あれは日本人のためのお店だ」と思われてしまいました。本来、海外展開するならば、その国のお客様のために作らなければならないのです。

 では、リスクをどうやって取るか。我が社には人材委員会という次の異動配置を決める仕組みがあり、海外に誰を派遣するか、全役員が入って決めていきます。すると、次に力を伸ばしてあげたい人材を、語学に達者な社員ではなく、優秀な順番に海外へと送り出すことになる。語学力と仕事の能力は全く別物ですからね。

 若手で、自分で作戦を考えて動ける社員を人材委員会で選別する。課長のうち8割は海外経験がありませんから、このうち20人ずつを毎年海外に出そうとしています。いかに海外でビジネスをするということが大変か、身に染みてもらう。

 これで、ようやくOKYがなくなってくる。郷に入っては郷に従えですから、そういうオペレーションにすることで、日本病も克服します。

海外店が国内店を超える

 

 グローバル化を成立させる条件とは何か。まず、海外でビジネスをする上でブランドほど大事なものはありません。私たちには「わけあって安い」に象徴されるような禅や茶道という簡素を旨とする哲学が流れています。こうした価値観は、実は世界中に受け入れられる考え方だと思っています。

 また、もちろんビジネスモデルも大事です。私たちはSPA(製造小売業)なので、1000円で売るものは500円で作る。その代わりオリジナル商品ですから、全部売り切る力を持っていないと在庫の山が出来てしまいます。ハイリスク・ハイリターンですが、高サイクルです。海外に出ていく時、低サイクルのビジネスモデルは基本的に成立しません。

 それから、私たちは投資回収が非常に早い。日本は8?9ヶ月で全ての初期投資を回収する。中国では1年、ヨーロッパでも1年か1年半あれば回収できます。

 あとは各国の商習慣を掴み、オペレーションを通していかにうまく「実行」できるかがグローバルにビジネスを成立させる条件でしょう。

 今後は、まずは店舗数、それから売り上げで、海外の構成比を国内と並べたいですね。数年後には国内、海外の店舗数が約500店で並び、売り上げも海外だけで1000億円を超えるでしょう。幸い、計画も順調に推移していますから、よほどのことが無い限り達成できると見込んでいます。

 様々な苦労を重ね、失敗の連続でしたが、ようやく少しは明るい兆しも見えてきました。やるべきことをしっかりやっていけば、海外へ出るチャンスはいくらでも転がっていると、私は思います。

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