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【創業と守成のマネジメント】Vol.2 経営学者 長田貴仁

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

長期政権が経営ノウハウを蓄積し持続的成長を可能にする

(企業家倶楽部2009年12月号掲載)

「創業は易く守成は難し」。新たに事業を興すよりも、その事業を維持し発展させるのはさらに難しいと言われている。では、「創業」の精神を受け継ぎ、事業を守る「守成」のマネジメントとは如何なるものか。第2回は「企業の盛衰」をテーマに、シャープの創業と守成に迫る。 (文中敬称略)

技術を売る会社への転換

 2007年4月、49歳で社長に就任したシャープの片山幹雄社長にインタビューしたとき、「グローバルの目線で見て私が社長に向いているかどうかとなると、まだまだ勉強不足だなと痛感しています。世界での競争は厳しいですから、大いにこれからも勉強していかなければならないと思っています」と謙虚に語っていた。

 それから2年経った2009年4月8日、東京都内で開かれた会見で片山社長は、海外戦略の大胆な戦略転換を発表した。「今後は海外で生産を行う際、現地の有力企業と組んで工場を建設し、投資を抑制するとともに為替変動リスクにも対応していきます。自己投資で工場を作り、輸出する仕組みは時代遅れです。これを変えなくてはならないと考えております」と強調した。モノをつくる企業から技術を売るエンジニアリング会社への転換である。この新戦略のもと、イタリアをはじめ世界の電力会社などと手を組み太陽光発電所を建設していこうとしている。もちろん最先端技術製品の研究開発や生産は引き続き日本国内で行う。特に同社が最も得意とする生産技術はマザー工場で蓄積する。ここから海外拠点に生産技術を移転し、さらには合弁会社に技術を売る考えである。

 もっとも、モノを売る会社の側面を捨てたわけではない。「世界5カ国生産体制を立ち上げ、日本、中国、東南アジア、そしてヨーロッパとアメリカでの開発体制から生産体制、物流、販売網の整備を行わなくてはなりません。グローバル体制を敷き、海外工場を拡充し、営業体制も変えたのは、2007年初めからです。当社は、2012年に創業100周年を迎えますので、その頃までには何としてでも形を描いていたいと思っています」

5つの蓄積

 シャープは大正元年(1912年)にシャープペンシルを発明した早川徳次氏により設立された長寿企業。片山氏は5代目社長である。いかに、一人の社長が長きにわたり任を務めたかが分かる。ちなみに、歴代社長の在任期間は、早川氏が創業時から数えれば58年、佐伯旭氏は16年、98年6月町田勝彦氏へバトンタッチした辻晴雄氏は12年となる。

 早川氏は子息がいなかったこともあり、世襲という選択をしなかった。倒産の危機にさらされた戦後のドッジ不況の頃から金庫番として早川氏と苦楽をともにしてきた佐伯氏を当然のように後継指名した。

 辻氏は佐伯氏と姻戚関係にある。また、町田氏の夫人(故人)は佐伯氏の娘。もっとも、町田氏の場合、夫人は中学校時代の幼馴染。京都大学(農学部)時代に偶然にも再会した。恋愛結婚である。辻氏も町田氏も血縁だから出世したと言われたことはない。これは周囲の社員も認めるところだ。シャープの社員は口癖のように言う。「うちは、経営者に恵まれています」。歴代の社長は実績を着々と積み上げ、誰もが「優秀な経営者」と認める人物なのだ。

 現社長の片山氏は生粋のサラリーマン社長である。東京大学工学部を卒業後、同社に入社して以来、太陽電池、そして液晶の技術者、責任者として歩んできた。堺臨海コンビナート(大阪府堺市)で2009年10月1日から稼働した堺工場(注1)を立ち上げ、育てるために抜擢されたような技術畑出身社長である。

 一般的には、長期政権ゆえに「カリスマ」ではなく「独裁者」が生まれ、度を越したトップダウン型経営が行われると思われている。この論を踏めば、独裁者ではなく「優れたリーダー」であれば競争力が高まるとも言える。その最たるものが「蓄積」の効用だ。それに気づいた早川氏は、戦後の混乱期にシャープが苦境に直面したことを教訓に、「信用の蓄積」「資本の蓄積」「奉仕の蓄積」「人材の蓄積」「取引先の蓄積」を「5つの蓄積」と表現し社是にした。

 この社是を目にして驚くことは、奉公に出されて小学校の教育もろくに受けていない早川氏が考案した「5つの蓄積」が、米スタンフォード大学で研究された「習熟効果」や米コンサルタント会社ボストン・コンサルティング・グループの研究成果である「経験効果」に似た概念であることだ。蓄積を実践するためには長い時間を要する。シャープは1912年(大正元年)9月15日に設立された古い企業だが、創業者から現社長の片山氏まで、社長の席に座った人はたった5人しかいない。いかに、一人の社長が長きにわたり任を務めたかが分かる。

既存事業を捨て 新規事業に挑む

 長期政権ゆえに蓄積された象徴的な例は、約30年間続けたことにより戦略事業になった液晶と、赤字続きだったが、約40年間、気長に育てた結果、今や、将来の屋台骨に成り得る戦略事業になった太陽電池である。佐伯氏は世界初の電卓を商品化しヒットさせた。それに数字を表示したのが小さな液晶パネルだ。その隣についていた小さな部品が太陽電池である。続く辻氏は液晶を使った応用商品を開発する「液晶スパイラル戦略」を展開した。「何としても液晶をテレビに使いたい」という思いを実現した。そして、町田氏は液晶テレビを戦略商品にしてシャープを大きく成長させた。 
 かつてシャープは、国内テレビ市場で松下電器産業(現パナソニック)、ソニーに続く東芝と「万年3位」の座を競い合ってきた。同社はブラウン管を持っていなかったため、販売したいときに増産できず商機を逃してきた苦い経験から、キーデバイス(基幹部品)の強化に取り組んできた。その結果生まれたのが液晶だった。最終的な目標は、テレビのキーデバイスとして液晶を使い、ブラウン管テレビ時代の雪辱を果たすことだった。ブラウン管並みの画質にするまでには長い年月を要した。だが、町田氏が社長に就任し大きな転機を迎える。

 社長に就任して2カ月後の1998年8月、町田氏自らが「シャープは2005年までに、国内で販売するカラーテレビをすべてブラウン管から液晶に置き換える」と宣言したのだった。この発言をした翌日、「シャープ、ブラウン管テレビを全廃」という記事が全国紙に踊った。販売店だけでなく、社員にとっても晴天の霹靂と受けれる報道だった。町田社長も「2005年に」とマニフェストを発したからには、有言実行しなくてはならなくなったが、そこには確かな勝算があった。既存事業を捨て、新規事業にリプレイスすべき条件を満たしていたからである。結果的に、テレビがブラウン管から液晶やプラズマなどのフラット・ディスプレイに移りつつある中で、液晶テレビ(国内市場)でダントツ1位に躍り出た。

 そして今、片山社長はもう一つの蓄積である太陽電池の技術を発展させ、冒頭で紹介した太陽光発電事業を強力に推進しようとしている。片山社長については、まだ、現在進行形であり評価を下すべき段階ではないが、佐伯氏、辻氏、町田氏はいずれも「中興の祖」と呼べる存在である。


世襲経営の課題

 ところで、現実の企業経営と苦闘しておられる経営者にとっては、釈迦に説法かもしれないが、図(企業の盛衰)を見ていただきたい。創業前の準備期、つまり種を蒔く時期をシード期と言う。創業を経て存続する企業は急成長期を経て安定期を迎える。その後が栄枯盛衰の分岐点となる。持続的願望が強く知恵のある企業は、さらなる成長を求め新たな柱となる事業領域へスムーズに移行する。そうこうしているうちに、大企業であれば「大企業病」と言われるように慢性の病にかかり衰えに気づかなくなるケースがある。低迷期に入り衰退期に直面する。そしてそのまま倒産していく企業は多い。倒産にまで至らない企業は、衰退期に入った段階、最悪でも衰退期で有効な回復策を講じている。そうした企業こそが再び迎える再生へのスタートライン(分岐点)に立つことができる。回復策が奏功すれば蘇生し回復期に辿りつき、見事、短期間で“V”の字を描くように復活すれば文字通り「V字回復」と呼ばれる。こうして再び成長への挑戦権を手にした企業だけが敗者復活戦としての新成長期に足を進めることが可能となる。

 この図をシャープに当てはめて見よう。シャープにも盛衰があった。しかし、苦難をバネにして、ここまでのし上がり、グローバルなビッグビジネスになった長寿企業はないだろう。その要因は、創業者以降、歴代、優れた経営者が長期にわたり経営に携わったことだと考えられる。また、同じタイプではなく、その時代(ステージ)に応じたタイプの社長が最大限にその資質を発揮したことにある。大量分析に基づく先行研究でも、短期にころころと社長が変わっている企業は成長していないという分析結果が示されている。いかに優れた経営者を持続的に投じるかが企業盛衰の要となる。トップ人事にへぼは許されない。一回でもへぼをすれば命取りになる。これからも世襲経営を続けようとする会社ほど真剣に考えなくてはならない課題である。

 町田氏は、大画面テレビ用液晶パネルを増産するため、亀山第1工場(三重県亀山市)に加えて、2006年10月に亀山第2工場も稼働し、生産の国内回帰を実現した。その背景には海外事業部長時代の苦い経験があった。プラザ合意(1985年)以降、急激な円高に直面し、日本メーカーは生産拠点を相次いで東南アジアへ移した。その結果、努力しなくても低コストで生産できるようになり、町田氏によれば「その後10年間、(シャープの)生産技術は進化しなかった」と言う。

 片山氏も国内生産を重視し、より高度な技術を磨くことには異論はない。技術畑出身社長だけに30年先を見据えた研究開発体制を構築した。冒頭で紹介したシャープの新戦略は、一見、前社長(町田氏)が重視した生産の国内回帰という方針を覆そうとしているようにも見える。だが、これは、蓄積を踏まえた上で社内的合意が形成された上での世界の経済潮流に即応した意思決定と言えよう。

 社長にとって、持続的成長を可能にする仕組み(事業システム)を構築することは中期経営計画を達成するのと同様、いやそれ以上に重要な仕事である。現社長の在任期間中に奏功するだけでなく、2代、3代後にまで発展し続け、イノベーションを実現できる事業システムの種まきをしておかなくてはならない。片山社長も着々と種まきをしつつあるようだ。

〈注1〉液晶パネルと薄膜太陽電池の生産を目的とするシャープの新工場。液晶パネル工場では、畳5畳分に当たる世界最大の第10世代のマザーガラスを世界で初めて採用する。業界トップクラスの発電効率の薄膜太陽電池の生産量は、年間1000MW(100万KW)となり、世界最大の太陽電池工場となる。この生産量は世界市場の半分を占めるようになり、家電発電所一基分の発電量に相当する。

 建設地は大阪府堺市臨海部に購入した新日本製鐵跡地。甲子園球場32個分に当たる127万平方メートルの敷地内に関連会社を誘致する。シャープは「21世紀型コンビナート」と銘打つ。ガス、電気などのインフラを共用できるだけでなく、液晶パネルの生産設備を薄膜太陽電池生産に活用することにより生産性が50%高まる。同社では「亀山工場(三重県)で培った垂直統合型のさらなる深耕化を目指す」としている。これは「地の利」を最大限に活用した一大産業集積であり、事実上の「ケイレツ」を具現化したことになる。低迷し続けた関西(大阪)経済を再浮上させるプロジェクトとして地元では大きな期待が寄せられている。

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経営学者 長田貴仁(おさだ たかひと)
神戸大学博士(経営学)。神戸大学経済経営研究所フェロー、多摩大学大学院客員教授、流通科学大学流通科学研究所客員研究員。著書に『増補新版 パナソニックウェイ』(プレジデント社)、『社長の値打ち』(光文社)他がある。講演や執筆で活躍。

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