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【地球再発見】vol.34 日本経済新聞社客員 和田昌親

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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五輪で「命の重み」を考える

(企業家倶楽部2021年9月号掲載)

 おもてなし五輪、復興五輪がどこかに吹き飛んでしまった。日本政府がオウム返しに言うスローガンは「安心・安全」だ。近代五輪の基本精神はクーベルタン男爵以来「平和の祭典」だが、新型コロナのせいで根本から変質してしまった。

 緊急事態宣言下の東京五輪、というだけではない。変質したのは「命の重みを考える」五輪になったことだ。開催の是非論が直前まで衝突したが、その根底には選手や観客の命のリスクを守りながら行う価値があるかどうか、簡単には答えが出ない難問が広がったからだ。

 日本側は原則「無観客開催」を決め、聖火リレーや開会式の簡素化、コロナ対策の強化などを実行した。一方のIOC(国際オリンピック委員会)は放送権料目当てとうわさされながら、「日本は感染者が少なく、安全」と判断、開催を後押しした。

 そうなれば、日本人は生真面目だから、五輪の間に新型コロナが拡大しないように、全力をあげた。

 しかし、よく考えると、すべての国、組織が「世界平和」ではなく「命の扱い」をどうするか、厳しく問われた五輪だったと思う。世界一を争うアスリートの気持ちは無視だ。

 そこで気になるのが、人命に対する世界の意識の違いである。

 新型コロナで亡くなった人は世界で420万人にのぼる。うちアメリカは61万人、ブラジルは55万人、インドは42万人だ(21年7月末、米ジョンズ・ホプキンス大のデータ)。アメリカの場合はベトナム戦争の戦死者6万人の10倍以上である。

 アメリカはワクチン生産で世界を救済しているが、だからといって大量死の免罪符にはならない。欧米先進国の一部でワクチン接種よりも「自由を選ぶ」と、もっともらしい理屈を掲げる人もいるが、「命の重さ」と天秤にかけるのは身勝手というものだろう。

 英国は7月末から新型コロナの規制を全面解除した。欧州サッカー選手権決勝でロンドンのスタジアムに6万人の入場を認めたのに続く措置だ。これからはマスク無しのパブ飲みやライブハウスの喧騒も元に戻る。その後感染者は急増しているが、英政府によるとワクチン接種が浸透したから大丈夫という。

 英国民の多くは喜んでいるが、問題なのは規制解除には「社会実験」という〝裏の目的〟があることだ。欧米では若者を対象にこの種の感染実験が堂々と行われている。元気な人間をモルモットに見立てて、病気の感染力を見極める実験だ。

 コロナ対策のために、人の命を実験に使う。日本や他国では考えられない。戦争中ならいざ知らず、世界平和が叫ばれる時代に、そこまでやるのは理解しがたい。宗教なのか、文化的な土壌なのか。英政府の〝賭け〟の結果はいずれわかる。

 フランスもパリのエッフェル塔への入域を認めたが、「ワクチンパス(接種証明)」の所持を条件としたことで、入場希望者ともめている。アメリカの西海岸ではマスク無しを決めたものの、変異株の拡大で再度規制を強化した州もある。

 東京では、五輪出場を目指して入国した外国人選手・関係者にもコロナ陽性者が増えている。したたかな新型コロナはまだ悪さをする。

 世界で5千万人が亡くなったとされるスペイン風邪。疫病の余波が広がる1920年。「それは無理」と言われながらアントワープ五輪(ベルギー)が開かれた。しかし、欧州の戦乱にひと区切りをつけたと評価された。

 大混乱の東京五輪だが、標語のような「平和の祭典」より、もっと意義深い「命をつなぐ五輪」になればいい。

Profile 和田昌親(わだ・まさみ)

東京外国語大学卒、1971年日本経済新聞社入社、サンパウロ、ロンドン、ニューヨーク駐在など国際報道を主に担当、常務取締役を務める。

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