会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2010年4月号掲載)
一橋大学大学院の看板教授、そしてハーバード大学ビジネススクールの人気教授として名高い竹内弘高。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正に請われ、企業内ビジネススクールFRMICを創設、200人の経営者候補育成に着手した。柳井が目指すグローバルワン戦略を実現する最大の要となる人づくりを担う。第2の人生を世界を目指す日本の企業を後押しし、世界での注目度を上げる為に貢献したいと意気込む。(文中敬称略)
FRMICで経営者候補を育成
東京・千代田区竹橋にある一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS)。一歩中に足を踏み入れると、アカデミックでおしゃれな空間は、国立大学とは思えない居心地のよさが漂う。学生の7割は外国人、昼のコースは全て英語という型破りな学びの場を創設したのが科長の竹内弘高である。その竹内がファーストリテイリング会長兼社長の柳井正に請われ、200人の経営者候補を育成するファーストリテイリング マネジメント イノベーションセンター(以下FRMIC)を創設した。リーマン・ショック以降、不況風が吹き荒れる日本で一人気を吐く柳井。2020年にはファーストリテイリング(以下ファストリ)全体で売上高5兆円、グローバルナンバーワン企業を目標に掲げた。これを実現するには「売り上げの8割を海外から叩き出し、世界中に200人の経営者が必要になる」と柳井は言う。その経営者候補の育成機関FRMICを任されたのが竹内である。
2009年1月にスタート、柳井正が学長を務める。2010年3月末で一橋大学を退官、ハーバード大学に転身する竹内だが、4月にはFRMICの副学長に就任、本格的に動き出す。柳井からは経営者の入り口に立つ200人を育成して欲しいと依頼されている。なぜ竹内なのか。それには2人の出会いから記さねばならない。
ゴルフの盟友
竹内が柳井と出会ったのは17年前、ファッション関連のエグゼクティブセミナー会場だった。時計のスウォッチのケーススタディを熱く講義した竹内に、柳井が「まさにこれですよね」と駆け寄ったという。
それ以後、仕事としてよりもプライベートな付き合いが続く。特にゴルフでは互いに競い合う盟友である。日常は極めて多忙な2人だが、年に何回か家族連れでハワイの休日を楽しむ。そこでゴルフを戦う仲だという。「柳井さんにとって私は宿敵です」と苦笑する竹内。ゴルフ場での柳井は快活で茶目っ気たっぷり。冗談を言い合う仲だ。しかし勝負は真剣そのもの。2人とも決して手は抜かない。ハンディは柳井12に対して竹内は8。最終ホールに強いという竹内は最後の土壇場で力を発揮する。すると「大学の先生にしておくのはもったいない」と柳井。私に対する最大の賛辞と竹内は快活に笑う。「柳井さんは裏表がない。常にストレート、そこが魅力。実は2人とも妻には弱い、ここが共通点」と苦笑する竹内。まさに公私共に盟友である。
その竹内に柳井が世界ナンバーワン企業を目指すために経営者候補育成を依頼することになる。
経営者の入り口に立つ200人を育成
竹内は4年前からファストリの次世代幹部候補を育成する研修を引き受けている。2回目のコースが終了したとき、200人の経営の入り口に立つ人間を育てて欲しいと頼まれた。
「なぜ我々ですか」との問いに柳井は静かに語った。
「私は後継者育成に二度失敗している。一度は若手に任せたが、時間を十分に与えずにやったので失敗した。二度目は出来上がった人を迎え入れたが、うまく機能しなかった。三度目はぜひ先生にお願いしたい。200人の経営者候補を育てたい。一橋大学を辞めてウチにきませんか」
柳井の想いとICSのノウハウが合致していると考えた竹内は、引き受けることにした。が、さすがに国立大学の教授の座を捨てるわけにはいかなかった。09年1月、ICSとして5人体制でFRMICをスタートさせた。そして2010年3月、竹内は一橋大学を退官、FRMICの副学長に就任、本格稼動することになる。
「私と柳井さんがウマが合うのは三つの共通点がある」と竹内。その一つは2人ともゴルフ好きであること。二つ目は竹内自身も一橋大学の型破りな教授としてアントレプレナーであるということだ。三つ目は柳井、竹内ともにファッション好きな点である。特に高校時代からオシャレでVANを着こなしていたという竹内は、日本の熟年男性には珍しい。「柳井さんといると楽しい」と笑顔を見せる竹内、まさにウマが合うのである。
アントレプレナーにしてエイリアン
「服を変え 常識を変え、世界を変えていく」というファストリのミッションがあるが、自分も“常識を変え”を実践していると竹内。そのワケはこうだ。
国立大学に新しい発想のビジネススクールを創りあげたということでは竹内自身がアントレプレナーである。東京千代田区にあるICSはとても国立大学のビジネススクールとは思えない。居心地のよい家具や調度品を配置したサロンのような空間、落ち着いたセンス溢れるインテリア。竹内が使う椅子は米国のハーマン・ミラーという。英語で行うクラスも常識破りといえる。「国立大学とはこういうものだ」という発想を破りたかった。学びの場はグローバルスタンダードでなければならない。当初は7割が日本人だったが、今は7割が外国人。世界24カ国の留学生が学ぶ。日本に居ながらにして多国籍企業のリーダーの経験ができる。「文科省によくこんな大学院を認可させたと言われる」と語る竹内は、常識を変え新しい価値を産み出す、まさにアントレプレナーなのである。
竹内の大学で最初ついたあだ名はET。型破りでこの世のものとは思えないからだという。そして学長ですら文科省に「彼は一橋のエイリアン」と紹介したと苦笑する竹内。「柳井さんも業界のエイリアンですよね」。常識を変えイノベーションしていくというは点では2人ともエイリアンに間違いない。
SMAP作戦
5年間で200人の経営者候補生を育てるにあたり、柳井から100人は日本人、あとの100人は外国人、秀才だけでなく凡才も入れて欲しいと頼まれた。
そこで竹内が考えたのは「SMAP作戦」である。経営者の入り口に立たせるには、共通のSMAPを身につけなくてはならない。Sとはストアオペレーション。ファストリの原点である。Mはマネジメント。経営23カ条はもとより、柳井が築きあげてきたマインドセット、ファーストリテイリングウェイを叩き込む。Aはアドミン、管理である。そこにはファイナンス、人事、システム、IТ、法務も含まれる。Pはプロダクト、商品開発・生産、マーケティングが入る。
このSMAPを共通言語として、いかに教育・実践していくか。世界一を目指すファストリとしてのストアオペレーションの権現とは何か。一つひとつの原理原則を抽出中だ。
世界にないものを創る
企業内ビジネススクールとして世界最高峰は米国GEのクロトンビルが名高い。「今回柳井さんからはそれを超えるものをつくって欲しい。世界にないものを創って欲しいと要望された」と竹内は語る。柳井の本気度が伝わってくる。
原理原則を教えるが、机上で教えるのは一日でよい。どうやったら現場で実践して成果に結び付けられるか。今、一人ひとりにカスタマイズした育成のダイヤグラムを作成中だ。例えばMから始める人は、次は海外の店でSを経験させる。そして次はPを経験させるなど。本人の得意分野からスターとさせ、そこで成果を出させて、次に異分野に送り込む。異分野から飛び込んだ方が新しい解決法を探り当てられる。
竹内らは200人一人ひとりのダイヤグラムを作るクリエイターであり、セッションをやるファシリティターであり、そのあとはコーチングまでも引き受ける。世界初の試みであり、どこにもベンチマークはない。とてつもない仕事だが、3月末で退官するからこそ引き受けたという竹内。これも柳井にとって幸運、時のめぐり合わせといえる。今はICS5人体制で実践しているが、4月からは8人体制であたる。7月からハーバードビジネススクールに転身する竹内は、ボストンでニューヨークのFRMICを、そしてパリのFRMICはスイスのビジネススクールIMDを巻き込んで創ると意気込む。外国人100人のダイヤグラムを組むには、海外に居る方が好都合と語る。
世界中から地頭のいい人間を引き寄せ、FRMICで経営者候補として育てあげる。この2月末、日本のFRMICが東京ミッドタウンに完成する。竹内は350坪の内装すべてを任されている。柳井からは、優秀な若者がFRMICを見にきて、ぜひ入社したいと思うような場をつくって欲しいと頼まれている。内装が得意な竹内の腕の見せどころだ。
世のため人のために第二の人生を生きる
昔はソニー、ホンダが世界で活躍したが今の日本企業は元気がない。こうした中で、5兆円企業を打ち上げ、本気で世界と戦い、グローバルナンバーワンを目指す柳井。「ジョギングなんて何が楽しいのか。結局勝たなきゃおもしろくない」と柳井は言う。今の時代こんなホラをふく経営者はいない。この志は、世のため人のために第2の人生を捧げたい。特に世界での日本企業の注目度を高めたいという竹内のミッションと重なる。
ファストリのような企業が新しい日本的企業を確立したら、世界的に日本が注目される。今は中国に関心が集まっているが、経営の面からみたらまだまだ日本が上。今年退官になる竹内だが、「あと10年は日本企業の世界での注目度を上げるため貢献したい」と熱く語る。オシャレで、かっこよくて型破りなエイリアン、竹内の戦いは今始まったばかりだ。
竹内弘高(たけうち・ひろたか)
東京都生まれ。インターナショナルスクールを経てカリフォルニア大学バークレー校に留学。1969 年国際基督教大学卒業。カリフォルニア大学バークレー校にて1971年経営学修士号及び1977 年経営学博士号取得。ハーバード大学ビジネススクール助教授に就任。7 年間ハーバードに勤務後、野中郁次郎に誘われ1983 年一橋大学商学部助教授に就任。1987 年一橋大学商学部教授、1996 年ハーバード大学ビジネススクール客員教授、1998 年一橋大学大学院国際企業戦略研究科を創設、科長に就任。専門はマーケティング・企業戦略など多岐にわたる。世界的な経営学者マイケル・ポーター氏と親交が深い。2010 年7 月にハーバード大学経営大学院教授に就任予定。