会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2016年6月号掲載)
ソフトバンクグループ社長の孫正義は後継者にインド人のニケシュ・アローラを選んだ。今後の主戦場が中国からインドに移るので、世界企業を目指すソフトバンクグループとしては順当な人選であった。しかし、少し早過ぎた感もある。孫正義は58歳。10 年早い後継者指名との声もある。両雄並び立たず。後継者が長い間、ナンバーツーで我慢できるかという心配もある。解決策としては、明確な役割分担。インドのことは全てニケシュ・アローラに任せるとか、人事のことなら全て孫正義に任せるなどである。何せ、ソフトバンクグループは売上高8兆6700億円(2015年3月期)の大所帯になったのであるから。 ( 文中敬称略)
【執筆陣】徳永卓三 三浦貴保 徳永健一 相澤英祐 柄澤 凌 庄司裕見子
早過ぎた後継者指名
再び、孫正義に戻ろう。
今号ではソフトバンクグループの後継者に決まったニケシュ・アローラに焦点を絞って書く。
ニケシュ・アローラがソフトバンクグループの代表取締役副社長に就任したのは2015年6月。その前の2014年9月にバイスチェアマンに就任している。
ニケシュ・アローラはインド人で、1968年、ウッタル・プラデーシュ州に生まれた。現在、47歳である。孫正義が1957年生まれの58歳だから、11歳の差。後継者としては最適だろう。しかし、少し後継者指名が早や過ぎた感じもする。なぜ、早や過ぎたのか、これからおいおい語ろう。
創業者にとって、というより、経営トップにとって一番難しいのが後継者指名ではなかろうか。企業も人間集団であるから、誰がリーダーであるかによって、運命は決まる。三菱グループのように10代も20代も続いているところは別として、まだ5代しか続いていない企業では誰が社長になるかは決定的だ。ましてや創業経営者からバトンを受ける人は大変なプレッシャーである。
本当は65歳くらいになって、後継者を決めるのが理想的だが、人間の寿命はいつ尽きるかわからない。80、90歳まで長生きする人もあれば、50歳代で早世する人もある。織田信長は天下を取る直前に明智光秀の謀反にあい本能寺でたおれた。寿命は神のみぞ知るである。
アカデミアでお披露目
そういうこともあって、孫正義は自分の後継者候補を2015年5月に決め、6月にニケシュ・アローラが副社長に就任した。2015年10月22日、ソフトバンクアカデミアでオープンセミナーを開き、2人の対談を開いた。ニケシュ・アローラの“お披露目”である。
というのはソフトバンクアカデミアは孫正義の後継者づくりとして、発足した。「われこそは孫正義の後継者たらん!」とする者が全国から集まった。どれも俊英ぞろいだ。しかし、後継者は座学で育つものではない。経営の修羅場から自然と育つものだ。そのことを一番知っていたのが孫正義だ。
とは言うものの、ソフトバンクアカデミアにいた俊英たちはおさまらない。孫正義としてはニケシュ・アローラを見せないわけには行かない。そういうわけで、2015年10月22日にお披露目となった。場所は東京・ロイヤルパークホテルの3階大ホール。ジャーナリストやソフトバンクアカデミアの俊英たちでごった返した。総勢1000人は超えただろう。
話の内容は本誌2016年1・2月合併号で詳しく報道したので省くが、ニケシュ・アローラはハンサムで頭も切れ、ソフトバンクグループを率いるリーダーとしては申し分ないと思った。
これからはソフトバンクグループとして、世界で戦っていかなければならない。ニケシュ・アローラはグーグルのシニア・バイス・プレジデント兼チーフ・ビジネス・オフィサー(CBO)として世界企業を経営してきた経験がある。しかも、これからの主戦場は中国からインドに移る。インド人のニケシュ・アローラは打って付けである。孫正義はその辺のところを考慮してニケシュ・アローラに白羽の矢を立てた。
米スプリント隠しか
冒頭にニケシュ・アローラの後継者指名が早や過ぎたと書いた。なぜか。2015年5月にニケシュ・アローラが自身の後継者候補であると発表した。この決算発表の席上では、記者団から米スプリントについての質問が殺到するはずであった。それを察知した孫正義はスプリント以上のサプライズは何か探したはずである。「後継者だ!」ということで、急遽、ニケシュ・アローラを候補として発表したと思われる。
これはあくまで筆者の推測である。「そんな姑息なことはしない」と孫正義が否定すれば、それまでだが、筆者にはそう見えた。案の定、記者団はスプリントのことは忘れて、ニケシュ・アローラのことに質問が集中した。孫正義の作戦勝ちである。
宮内謙など日本人取締役陣は渋面だった。宮内は孫正義より年上である。はじめから「自分の目はない」と思っている。とは言うものの今の段階で後継者を発表されるのは、はなはだ不愉快だ。今回の人事発表では、宮内は国内のソフトバンクのCEOに就任した。栄転ではあるが、これまではナンバーツーだったが、ナンバースリーに格下げになった。
面白いはずがない。宮内以下の日本人の取締役陣の顔は不満気であった。
孫正義は58歳である。順調なら65歳前後で後継者を発表してよい。日本を代表する創業経営者である日本電産会長兼社長の永守重信( 71)、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正( 67)らは60歳を過ぎても、後継者を明らかにしていない。
後継者指名はいつがいいか
「たとえ、車いす生活になっても社長業を続ける」と言った永守などは、ある日、「社長は今日で辞める。次は君がやれ」と電光石火の交代劇をやりそうな気がする。社長とはそういうものである。
その意味では、ニケシュ・アローラの後継者指名は少し早や過ぎたのではないか。
普通、後継者を決めたら、1年以内に社長が交代する。旭化成の宮崎輝や帝人の大屋晋三などはナンバーツーキラーとして有名になった。後継者を決めてもなかなかナンバーワンの座を譲らないのである。
孫正義も1年以内に社長交代を実現したら立派だが、そうはならないだろう。孫正義は60代後半まで社長を続けるか、ナンバーワンの座に居続けるだろう。なぜなら、孫正義しか解決出来ない難問が社内に山積しているからだ。創業経営者の宿命のようなものだ。
それだけ全財産と全人生を賭けて勝負しているのである。世界ナンバーワンにならないと、気が済まないのである。世界ナンバーワンの基準は何だろうか。
それは時価総額であろう。今、ソフトバンクグループの時価総額は7兆円強。ファーストリテイリングの3兆8000億円より上回っているが、グーグルの55兆円に比べると、見劣りする。
高くない給料
だから、グーグルのCBOを経験したニケシュ・アローラをスカウトしたのである。報酬165億円強で。「高い!」という人もあるが、決して高くはない。業績が上がり、株価が上がれば、165億円強はすぐ取り戻せると孫正義は考えているのではないか。
問題はニケシュ・アローラの社長就任の時期である。後継者の指名をされたら、1年以内に社長に就任する。そろそろ1年になる。ニケシュ・アローラは「今か今か」と待っていることだろう。
しかし、孫正義は70歳近くまで実質的なナンバーワンでいるだろう。筆者が「後継者指名が早や過ぎた」というのはそのことである。
ニケシュ・アローラはソフトバンクグループの後継者としては不足はない。英語は話せるし、グーグルのCBOも経験した。何より、自分の意見を持っている。しかもバランス感覚がある。
理想的な後継者
孫正義とニケシュ・アローラの対談を聞いていても、そのことがよくわかる。普通、自分の上司にはものが言いにくいものだが、ニケシュ・アローラは堂々と自分の意見を述べた。孫正義が惚れ込んだだけはある。
それだけに時期が早や過ぎた。孫正義としては、早く後継者に指名しておかないと、どこかに逃げられてしまうとの危惧もあったかもしれない。後継者指名の時期は難しい。早やくても遅くてもいけない。それが証拠に永守、柳井はまだ、後継者を明かにしていない。永守は70を超えている。柳井は67歳である。
恐らく企業経営で最も難しい課題の一つだろう。最近のセブン&アイ・ホールディングスの内紛問題も後継者問題に端を発している。中核子会社の社長交代を契機に親会社の鈴木敏文会長の退任問題まで発展した。人の問題は慎重に進める必要がある。
英明なリーダーに恵まれれば、幸福な一生が送れるし、愚鈍なリーダーに率いられれば、倒産の憂き目にあうかもしれない。
重要なトップ人事
新聞記者が必死でトップ人事を追うのは、他社より少しでも早く人事情報を読者に届けたいと思うからである。
余談になるが、社長人事は明確に誰れ、誰れとわかるわけではない。中には、輪転機が回っていても、記者は自分の推測が当たっているか、不安なときがある。日本銀行の総裁人事などは日銀が発表するまでわからないことがある。大手新聞が日銀人事を間違えたこともある。
ことほどさようにトップ人事は難しいのである。記者はそれぞれの智恵を絞ぼる。銀行の首脳陣を夜回りするか、当該者の奥さんを攻めるか、本人に直接アタックするか、新聞社ではチームを組み、同時に関係者にあたる。そうすると、次期社長が自然に浮かび上がる。
社長交代は実にドラマチックである。
これは、筆者の記者時代の話であるが、ある大手企業の社長が6年間勤めた社長を辞めることになった。後継社長も決めて、明日社長交代という夜にその社長と筆者が飲み屋の2階で懇談した。
社長は問わず語りにしゃべり出した。「君、淋しいものだよ。社長を言いわたした途端に社内の人心はガラガラと音を立てて新社長の方に流れて行く。覚悟はしていたが、淋しいネ」
その社長は創業社長ではない。10何代目かの社長だった。それでも社長在住6年間は企業の最高権力者であった。それが明日から前社長になる。淋しさと同時に責任から外れる気楽さもある。
横道にそれた。本論に戻ろう。
ニケシュ・アローラはまたとない人材である。孫正義が惚れ込んだだけはある。しかし、両雄並び立たずである。お互いが意地を張れば、社内はまとまらない。
孫もアローラも聡明な経営者
ニケシュ・アローラは我慢が出来るとみた。孫正義と上手く折り合いをつけて、ナンバーツーの職責を果たすだろう。10年は長いが、お互いの役割分担を明確にして、いいコンビを組むだろう。
地域で分けてもいい。インドはニケシュ・アローラ。日本と中国は孫正義、ヨーロッパは2人で相談して決めるなど、それぞれが得意分野を受け持つ。
あるいは、事柄別に分担を決めてもよい。財務全般は孫正義、投資・M&Aはニケシュ・アローラ、人事は孫正義、対外折衝はニケシュ・アローラといった具合いである。そうこうしているうちに、10年なんてアッという間に経ってしまう。
ソフトバンクグループも8兆円企業になった。10年もすれば、年商50兆円になるかもしれない。2人は優秀な経営者ではあるが、とても1人では見られないほど企業規模が大きくなった。これからはチームで見る必要がある。
聡明な孫正義とニケシュ・アローラであれば、うまくやるに違いない。そう考えると、孫正義はいい相棒をつかまえたと言える。
確かに孫正義は頭が柔軟である。株主総会でも決して怒らない。時には株主から失礼な質問が飛ぶが、孫正義は柔らかく受け止めて、丁寧に答える。
2人の老練な企業家とわたり合う
交渉上手でもある。衛星テレビでルパート・マードックとJスカイBをまとめたり、アメリカ大統領候補にもなったロス・ペローと提携したことがあるが、なうての2人と堂々と渡り合った。
1990年代半ばのことである。突如として、日本に衛星放送の時代が訪れたことがある。商社連合のパーフェクTVが先行し、カルチュア・コンビニエンス・クラブ社長の増田宗昭が米ヒューズ社と組んでディレクTVを設立、孫正義はルパード・マードックとJスカイBを立ち上げた。
時は96年6月11日、孫正義とルパード・マードックは東京・銀座の吉兆で対峙した。席上、孫正義が次のように述べた。
「マードックさん、僕はメディアの世界は素人です。しかし、衛星放送に賭ける揺るぎない情熱では誰にも負けません。貴方もゼロからスタートして、これまでの地位を築かれたからお分かりでしょう。大切なのは何を持っているかではなく、何を成さんと欲しているか、という志ではないでしょうか」
孫正義は弁舌にかけては天才である。ルパード・マードックは東洋の若きベンチャー企業家の弁舌に聞き入った。
孫正義とニケシュ・アローラがタッグを組めば、世界最強のコンビになるだろう。これからがミモノである。世界最強の企業、ソフトバンクグループをめざしてエンジン全開となろう。「そのためにグループと付けた」と孫正義は言うに違いない。
ここまで書いたところで、ソフトバンクの組織改革が3月7日に発表された。海外事業と国内事業をそれぞれ総括する中間持ち株会社を月内に設けるという案で、海外の責任者はニケシュ・アローラ、日本国内は宮内謙が担当する。ニケシュ・アローラの手腕が注目される。