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(企業家倶楽部2012年12月号掲載)
日本は大文明の一つ
「日本は世界の八大文明の一つである」。米国の政治学者で代表的な戦略論者のサムエル・ハンチントンはその著『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社)の中でそう述べた。彼は「東西冷戦終結後、文明の衝突が激しくなっている。西欧文明が影響力を失いつつある一方で、日本一国そのものである日本文化は孤立している」と指摘した。
確かに、世界は混迷を深めている。宗教、人種、地域、そして最近は所得格差をめぐって、人々の利害が鋭く対立している。社会主義が行き詰まって東西冷戦は終結したが、今度は資本主義が綻びをみせて、新たな民主化運動を引き起こしている。それをインターネットが拍車している。
人々は自助努力を忘れ、政府頼みとなっている。政府もまた選挙民の人気取りに腐心している。家計も財政も悪化し、環境改善どころではなくなりつつある。米国は指導力を失いつつある。ところが、米国に代わって世界のリーダーシップを取れる国はまだ現れていない。
世界的な時代閉塞状態である。世界恐慌再来の声も聞かれる。皆で脱出策を考えなければならない。新しい技術、新しいシステムを創り出さなければならない。マネーゲームに見られるような強欲で傲慢な態度を改め、節度のある健全な生活を取り戻さなければならない。
昨日の敵は今日の友
人が多面的な性格を持っているように国も多面的な性格を持っている。日本及び日本人もその例にもれない。しかし、多面的な性格の中でも、とりわけ特徴的な長所とみられる性格というものがある。それは日本の場合、やはり「和」ということばに象徴される。
日本の歴史も平和一筋にたどってきたわけではない。海洋に隔てられて外敵との戦いは少なかったが、それでも古くは朝鮮、蒙古との戦いがあったし、明治以後は清国、ロシヤ、そしてついには第二次世界大戦を戦った。一方、国内では源平合戦以来、南北朝の動乱、応仁の乱、戦国時代と間断なく「一所懸命」の戦を戦ってきた。
それでも、日本の戦は欧米や中国のそれとは違っていた。まず城からして違う。大陸の城は都市全体を包むものであるが、日本のそれは領民を巻き込まないものである。そして戦は敵を殲滅しないのである。日露戦争時の乃木大将とステッセル将軍の水師営の会見の歌にいうように「昨日の敵は今日の友」なのである。それどころか敵を味方にしてしまう。将棋も日本の場合は、奪った敵の駒を味方の駒として活用する。
長い戦乱の中で、日本人は喧嘩両成敗の法則を成文化した。報復の連鎖を断ち、戦乱そのものに終止符を打つためである。結果、長い平和の時、江戸時代が訪れた。日本は海という堀に取り巻かれ、異民族による蹂躙を経験しないで済んだ。それに元来「稲作漁労文明」が「和をなす文明」であったことが幸いした(川勝平太、安田喜憲共著『敵を作る文明 和をなす文明』PHP研究所)。
江戸文化花咲く
『二十世紀の意味』(清水畿太郎訳、岩波新書)を書いた米国の経済学者で文明評論家のケネス・ボールデイングは、日本が江戸時代を持ったことを高く評価していた。それは戦争の無い社会であり、自給自足の循環型社会であり、独自の文化を開花させた社会だったからである。
幕府の鎖国政策は科学技術、とりわけ兵器の発達を遅らせた。ペリーの黒船がやってきた時、日本はその立ち遅れを挽回しようと必死になった。国難来るの危機意識が、全国の若者たちを決起させ、明治維新につながった。これは長い鎖国政策が平和裡に日本人の知力、活力を涵養してきたからでもあった。
江戸時代は食料輸入の道がなかったから、飢饉に見舞われることもあった。しかし、だからこそ物を大事にする「もったいない」の循環型生活が定着した。規律を重んじ、連帯責任を取ったから、少ない町方役人で安全が保たれた。十両盗めば打ち首と刑罰も簡明だった。
学術、文化の花が咲いた。関孝和は高等数学で世界をリードした。石田梅岩はアダム・スミスに先んじて市場メカニズムを説いた。世界に先駆けて清算取引が行われた。歌舞伎が演じられ、浮世絵が描かれた。浮世絵は欧州で印象派を生んだ。ジャポニズムである。甲冑、刀剣などの精緻な伝統工芸が生まれ、物づくり日本をリードした。
藩校が開かれ、寺子屋が繁盛した。茶道、華道、芸事などのお稽古ごとも盛んだった。幕末、日本を訪れた外国人たちは、日本人が礼儀正しく、読み書きソロバンに達者なのに刮目した。日本は単一民族化しながら、古代の憲法に定めた「和」の文化を守り育て、知的水準を高める努力を惜しまなかったのである。
封建と共に消えたもの
歴史は時の政権によって書かれる。いきおい、前政権を低く評価しがちである。明治新政府は江戸幕府を低く評価した。政権担当者ではなくても、福沢諭吉のように「封建の門閥制度は親の敵(かたき)でござる」(『福翁自伝』岩波文庫)といった識者もいた。しかし、江戸時代が長い平和をもたらし、明治維新を達成するための知力、活力を蓄えたことは確かである。
内村鑑三は『代表的日本人』(鈴木頼久訳、岩波文庫)の中でこう書いている。「鎖国を非難するのは浅薄な考えである」「世界に呑み込まれない(中略)国民性が十分に形成される必要があった」。そして封建制には欠点があったから立憲制に変わったが「封建制とともに、忠義や武士道、また勇気とか人情というものが沢山、私共から亡くなった」と指摘した。
明治維新は世界史上、稀にみる成功を収めた革命だった。日本は文明開化を成し遂げ、富国強兵を実現した。多くの発展途上国が日本に見習おうとした。しかし、富国強兵策は結果として、列国の帝国主義競争への遅ればせの参加となり、ついには第二次世界大戦を招来することになった。日本は史上初の惨敗を喫し、国土は焦土と化した。
夏目漱石は日本が日露戦争に勝利した後書いた小説『三四郎』の中で、「日本も段々発展するでしょう」という三四郎に向かって、広田先生に一言こういわせている。「いや、亡びるね」。
今こそ温故知新の知恵
歴史の評価は難しい。しかし、歴史に断絶はない。一つの時代が次の時代につながって行く。一つの時代が次の時代を準備しているのである。
敗戦によって、一億総懺悔ともいうべき虚脱状態が訪れた。そして戦前の評価が百八十度変わった、逆賊だった足利尊氏は偉大な政治家に変わった。それだけならまだいい。戦前のことはなんでも軍国主義につながるから悪いということになった。例えば「修身」の授業の廃止である。身を修めることは、社会の一員として生きていくための、第一義的な義務であるはずなのにである。
「温故知新」という。過去の全てを否定しては、なにも生まれない。そして、何を肯定して何を否定するか、その選択を間違えた者には未来はない。敗戦後67年。私たちは日本文化の長所と短所をきちんと総括しなければならない時にきた。
世界が閉塞状態にあるいま、日本も世界大文明の一つなら、孤立化してはいられない。日本文化が「和」を核とする美質を持つなら、それを時代閉塞の突破口として役に立てなければならない。
P r o f i l e 吉村久夫(よしむら・ひさお)
1935 年生まれ。1958 年、早大一文卒、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、日経ビジネス編集長などを経て1998年、日経BP社社長。現在日本経済新聞社参与。著書に「本田宗一郎、井深大に学ぶ現場力」「歴史は挑戦の記録」「鎌倉燃ゆ」など。