会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2010年4月号掲載)
まず、契約書がないために裁判で敗訴したケースを紹介します。
ある地方公共団体(A町)が行政管理システムの開発と導入を進めるために、いくつかのソフトウエアベンダーに資料提供を求めました。ソフトウエアベンダー数社は、この求めに応じて、「提案書」と「見積書」を提出しましたが、このA町は結局N社に依頼することにして、N社の提案書を採用する旨の通知を発送しました。
ところが、結局依頼したシステムの一部について導入がなされなかったので、A町はN社に対して、債務不履行に基づく損害賠償等を求めました。
裁判所は、契約書が作られておらず、また、N社が提出した「提案書」も概括的でA町との打ち合わせを経たものでなく、仕様確認もなされていないと事実認定をして、「本件では、当事者の間に一定の合意がされたとみる余地があるとしても、その合意は契約不履行に対して損害賠償等を請求できる性質のものではない」としてA町の請求を認めませんでした。
法律的には、当事者の意思が合致さえすれば、ほとんどの契約は口頭で成立します。
しかし、この裁判事例のように、あるビジネス取引についてある程度のやり取りをしていて、一方の会社が契約成立を前提として請求をしても、相手方にとってそれが不都合であれば、契約はまだ成立していないと主張されるかもしれません。
契約書がなかったり、あっても適切でない場合、契約が成立していることや、契約の内容については、当事者間で行われたやり取りの経緯や、取り交わされた提案書、注文書、業務報告書などの書面によって証明していくことになりますが、容易ではありません。裁判になった場合、訴訟費用等の金銭的な出費だけでなく、これらの書類や経緯を取りまとめるために社内で行う作業が大きなコストになることもあります。
また、契約書の意義は、契約成立を証明することに尽きません。
牧歌的な時代とは違って、現代の取引は複雑でユニークです。その取引によって実現しようとしていることは何か、そのために契約当事者はどのような役割を分担するべきか、契約実現の過程やその後にトラブルが生じたときの責任の分担はどうするかなどを予め決めておかなければ、取引をすることは大きなリスクをかかえることになりかねません。
最初に掲げた裁判のケースでも、A町はN社に対して億単位の請求をしており、それは珍しいものではありません。
契約には様々な形態の契約があるため、契約書に記載すべき事項を一律に列挙することはできません。契約書を起案するときは、契約の目的を円滑でリーズナブルに実現するためにはどのような役割分担が必要で、どのような問題が生じそうかを想定することが大切です。
とはいえ、現実には、作業開始前では作業ボリュームの見通しが立たないこともあります。そのようなときも、可能な範囲で見通しを立てて契約を結び、変更があった場合に契約内容を見直すべきです。
よい契約書は経営を助けます。
参考にした裁判例:名古屋地裁平成16年1月28日判決
Profile
古田利雄
ベンチャー企業の創出とその育成をメインテーマに、100社近い企業の法律顧問、上場会社の役員として業務を行う傍ら、ロースクールで会社法の講座を担当している。平成3年弁護士登録。東京弁護士会所属。