会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2010年1・2月合併号掲載)
桃太郎の出生
昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ柴を刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが洗濯をしていると、川上から大きな桃が、「どんぶらこ、どんぶらこ」と流れてきました。
「これは大きな桃だこと、持って帰ってお爺さんと一緒に食べましょう」
家に持って帰ったお婆さんは、拾った桃をまな板に乗せて、包丁で切ろうと思ったら、中から赤ん坊が飛び出してきました。それが桃太郎です。お爺さんとお婆さんは桃太郎を自分の子供として育てることにしました。
子供の頃の桃太郎
桃から生まれたと言う話は、村の子供の中でいじめの格好の理由となり、いつも近所の子供から泣かされてばかりでした。いじめられてはべそをかいて帰ってくる桃太郎に、お爺さんとお婆さんは言いました。
「世の中には弱い人が居て、弱い人は自分より弱そうな人を理由をつけてはいじめて、自分の弱さを誤魔化そうとするのさ」
「神様は見てくださっている。いつか見返す日が来るのだから、へこたれないで、辛抱して頑張るんだよ」と勇気付けました。そんな中から桃太郎には、弱い者へのいたわる気持ちが芽生えました。そして、たとえいじめられても、時間があれば進んで村の子供たちと遊ぶようになりました。
しまいには、桃太郎がリーダーのようになって、仲間を作り、村のある場所でおち合い、準備して一緒に山や川で遊んだり、魚を釣ったり木の上の柿をとったり、収穫がある場合は皆で分け合うこともしました。
桃太郎の家の経済状態と心身の成長
それに田畑を持たず所得の低かったお爺さんとお婆さんは、桃太郎を他の子のように贅沢な暮らしをさせてあげられませんでした。それでも桃太郎に精一杯の愛情と、自然で採れる四季折々の果物や新鮮な魚を与えて、桃太郎はすくすく育ちました。むしろ周りの豊かな皆よりも、はるかに多種多様な栄養素にあふれた食環境で育ちました。桃太郎の体は年年頑丈になっていきました。
豊かな自然は同時に、桃太郎に強い感受性を授けました。春の山に霞がかかる頃、山河には花が咲き乱れ、ウグイスが歌い、蝶が舞いました。暑い夏には、セミがうるさく鳴き、桃太郎は川や海で泳ぎ、貝や海老を採りました。夏の終わりには大きな台風がやってきて、大雨を降らせたり、大風で大木をなぎ倒したりしました。秋には紅葉が山々を飾り、広がる青空のどこかでモズのさえずりを聞きました。寒い冬は雪が空に舞い、川の水が少なくなって池が凍りました。
お爺さんとお婆さんの仕事は、出来るだけ手伝いました。その中から体験的に、どうすれば作業が上手に効率よくすすめることが出来るか、工夫する力がつきました。作業には全体の流れがあり、ボトルネックが作業全体のスピードを制約することも知りました。そして何より、任され分担した仕事を、責任を持って時間内に終わらせないと、分業している仲間に迷惑をかけることも知りました。
お爺さんが山で採ってきたシイタケや松茸を市場で売るときには、誇らしげな気持ちになりましたが、市場にはいろいろな人が来て、お祭りのような気分になる時もありました。周囲の情報をお爺さんが集めて値段を付けるのですが、在庫の残り方を見てお爺さんは上手に値下げをしたり、お客さんに掛け合ったりしてずいぶん勉強になりました。世の中にはいろんな価値観の人やお金を持った人が居るということです。
勉強する少年の桃太郎
村の学校では桃太郎は一生懸命、特に読み書きとインターネットを勉強しました。村が子供政策で授業料を免除してくれたのが助かったのと、村の図書館は無料で本を貸してくれたので、思う存分本を読むことが出来ました。お爺さんとお婆さんは、言いました。
「とにかく世界の名作を読むようにし、作者と心の中でお話しするようにしなさい、そうすると世界で一流の人と会話出来るようになり、世界で通用するようになって来る。音楽や美術も同様に大事だよ。」
図書館には素晴らしいクラシック音楽のDVDや、美術書もあり、桃太郎の感受性をいやがおうにも高めることになりました。
村の図書館ではインターネットが自由に見られるようになっており、数学に科学や技術、コンピュータなどの勉強もしました。お爺さんとお婆さんは、言いました。
「私らの頃は、ネットとかケータイとか無かったものだけど、時代は科学が進歩するとともに新しい時代になってくる。その時代の変化を先回りして知るためにも、数学、科学、技術などの知識は必要なのさ。」
「それから、これからはグローバルな時代で外国の人と交易する事が多くなるから、語学も世界史や地理も大切だよ」
そこで桃太郎は、英語の勉強も一生懸命しました。世界の歴史を知り、自分が歴史の中で何か重要なことをしたいという志を持つようになりました。
体が大きく頑丈だったので、桃太郎は野球部のキャッチャーもやっていました。野球部では上下の礼儀や、チームプレーを学びましたが、仲間が吸っているタバコがばれて甲子園には行けませんでした。
青年時代の桃太郎と起業家への道
学校を卒業すると、桃太郎は近くの携帯ショップで勤めるようになりました。昼は勤めて、夜はお爺さんお婆さんの仕事の手伝いをする毎日が続きました。林檎チャンという、ガールフレンドが出来ましたが、デートの時間もあまりなく、メールでやり取りし、時々街にデートに行ったり、海へ海水浴に行ったりするくらいでした。
貯金がだいぶ出来た頃、友達から誘われてソフトウェアを開発する会社を創業する事になりました。村の金持が資本を出してくれることになり、村の法務局に登記をしました。事務所を作ってケータイサイトの製作やスマートフォンの販売をしていました。学校の後輩を雇って労働基準監督署に届けたり、毎年預金通帳や領収書をベースに記帳して決算書をまとめ、税務申告書を作成して税務署に申告することがあるとは知らず、最初は戸惑いました。
その会社は、結局とんとんでまあまあの成績でしたが、クラブ活動のようで儲けは出来ませんでした。
鬼退治計画に大反対の周囲
さて、心身ともにすっかり成長した桃太郎は、村人が巨大資本の鬼が島の鬼に時々村の市場を、我がもの顔に荒らされて困っている話を耳にしました。そこで桃太郎は鬼を退治に行こうとしました。その話を会社の仲間、友人や専門家にしたところ、馬鹿なことをするな、出来るわけない、リスキーだ、前例がない、我々は生来保守的で駄目だ、と大反対に合いました。離れ離れになるガールフレンドも、野球部の同級生も、仕事をともにした友人も、お金を出してくれたお金持も大反対です。
村々では、鬼退治など無理に決まっている、桃太郎は頭がおかしくなったのではないか、という噂まで立ち、2ちゃんねるに書かれる始末でした。結局、桃太郎は会社を去り、独力で準備を進めました。
桃太郎は言いました。「こんなに素晴らしい、また用意周到な計画なのに、誰も理解してくれないなんて、世の中どうなっているんだろう?」
お爺さんとお婆さんの反応に勇気づく
ある夜、お爺さんとお婆さんに相談をしました。二人は言いました。
「桃太郎、もしあなたが行くべきだと、心からそう思うなら、断固行きなさい。あなたがよく調べた事は知っている。世の中とは前例のないこと、新しいことには自分かわいさに賛成しないものだよ。」
そう言って、お婆さんはキビの粉をこねて黍団子を作ってくれました。
「私らにはこのくらいの応援しかあなたにしてあげられないけれど、道中お腹がすくだろうからこれを食べて元気をお出し。いつも私たちはあなたの味方だよ。あなたはきっと成功するからね。」
桃太郎は大いに勇気を貰うとともに、黍団子をくれたお婆さんこそ、ネットで調べたシリコンバレーのベンチャーキャピタリストに相違ない、と思ったのでした。新しいことを実現しようとする起業家は、常にキャズムの手前のステージであるが故に少数派であり、保守派から見るとフロンティア過ぎる存在であり、それを応援してくれるのがベンチャーキャピタリストです。
キャズムの前の寂しい出発
桃太郎は村を出発することになりました。ところが、誰も賛成するどころか反対者ばかりでしたので、出発は誰も見送るものがありません。しかし、桃太郎にとっては、お爺さんとお婆さんの見送りだけで十分でした。
腰には黍団子の袋をしっかりとぶら下げて、勇んで村を出発しました。歩きながら桃太郎は独り言を言いました。
「黍団子は、いわばお婆さんベンチャーキャピタリストから投資を受けた投資資金だ。これはよほど大事に使わなければならない。」
「お腹がすくのは我慢すればよいので、この黍団子を大事にとっておいて、人材投資しよう。鬼退治に必要な経営資源はスタッフの充実だ。」
サル、キジ、イヌを雇いなさい
道中、桃太郎は「賢いサル」、「情報力のあるキジ」、「忠実で処理の早いイヌ」と出会いました。巨大資本鬼が島ビジネス対決計画に基づいてよく説得し、黍団子をあげる約束をしました。腹がすくだろうとお婆さんベンチャーキャピタリストがくれた投資資金である黍団子が、最強のスタッフ群に化ける瞬間でした。
このスタッフが活躍することで、桃太郎チームは鬼ガ島で優秀な戦いを行うことが出来、鬼を降参させることが出来ました。そのポイントは何のことは無い、顧客生活本位で直接よく情報を集めつつ、丁寧に準備を進め、ステップごとにビジネスを組み替え進化させ続けることでした。そしてキャズムを超え、お宝の顧客市場を獲得することが出来ました。
桃太郎村へ帰る
桃太郎が宝の山を電気自動車に積んで、村へ帰る途中、峠のお茶屋ではおしろいを塗った美しい鬼が島資本の残党キャバクラ譲達が桃太郎を待ち伏せて誘惑しました。しかし、桃太郎は少しお金をすっただけで、羽目は外しませんでした。
大半のお宝を車に積んで村に帰った桃太郎は英雄でした。村の人達やマスコミは言いました。
「桃太郎は、最初から成功すると思っていたよ。」
村人達の大歓声の中、お爺さんお婆さんと桃太郎は、お互いにウィンクし合いました。
「キャズムを超える過程って、こんなもんなんだね。」
宝の山の一部はお婆さんに渡しましたが、お婆さんベンチャーキャピタリストの投資収益率は、もとが黍団子の粉だったので何万倍にもなることになりました。
その後の桃太郎の活躍
桃太郎がこれまで体験してきたことは大切なことでした。そこで、桃太郎は自分の体験をケーススタディーに整理しなおし、後進の若者の教材にするとともに、宝の山を原資として自らもお婆さんの志を継いでベンチャーキャピタリストになったとさ。
そこからやがて村は、アジアのシリコンバレーと呼ばれ、世界史的にも起業家が輩出する重要地域に発展したとさ。今でもその村の中心には、桃太郎と彼を支えたお爺さんとお婆さんの碑が立っています。
めでたし、めでたし。
著者略歴 日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合
代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。 慶應義塾大学経済学部卒。84年日本合同ファイナンス(現ジャフコ)入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。東京を中心にベンチャー企業の創業支援、株式上場支援を行い、ベンチャーカンファレンスを開催。99年よりボランティア活動として、「青少年起業体験プログラム」を慶應義塾大学など全国各地で実施。03年より徳島大学客員教授。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。