会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2012年6月号掲載)
どうもがけどやむを得ないことがある
2012年3月31日ー4月1日の週末、投資先の社長を3つもやる事になって多忙を極めた事もあり、行こう行こうと思いつつ、結局一度も足を踏み入れられなかった震災後の三陸地方を、レンタカーで回った。投資先に関連して、東北地方のCATV局視察のついでもあった。一ノ関で車を借り、陸前高田、気仙沼を見て、被災した民宿で泊まり、南三陸町へと足を伸ばした。
あまりの巨大津波の被害の大きさに唖然とした。標高20メートル位の山肌から下の川沿いは、相当高い場所までも、何もなくなって、河原のようになっているのだ。木造の家は柱ごと持って行かれ、コンクリートの基礎しか残っていない。相当高い場所に逃げなかったら、巨大津波に呑まれてしまっただろう。「天然」と「自然」とは言葉のニュアンスが異なると、小さい頃から思っている。「天然」は、人間がコントロールできない、近づこうとしても近づき得ないものを含んでいる言葉であり、「自然」はどこか人間が制御でき、社会と共存出来ると思われている言葉だろう。今回の巨大津波の爪痕を三陸海岸のあちこちで目撃して、これは「天然」のなせる業である、と思った。
誰が悪いわけでもなく、天然の力の元に、我々は生物としての進化と歴史を積み上げているのであり、天然のお蔭で我々の細胞などで構成される生物的存在でもある。その同じ天然が時として猛威をふるう。しかし、それも我々を生みだしている天然の一部である。であるなら、それに従順に従うしかないのではないか。受け入れるしかない、と思う。命を落とした方々の冥福をお祈りしつつも、被災者のご苦労を思いつつも、天然とはそれが災害であろうが、我々の人体の遺伝子の宿命であっても、その事実と共存して行くほかない。天然が時として起こす、人知を超えた巨大津波や隕石の衝突のような大災害は滅多には来ないが、必ずやってくるのだ。
起業家の事業立上げ過程にだって、何年かの間には、様々な困難が起こるのではないだろうか。想定外の事が起こる事を常に覚悟を決めておく事が大切ではないか。
大震災後の企業経営3原則
天然に従うしかないと言えども、生き残らねば何もない。「釜石の奇跡」という岩手県釜石市の釜石東中学生と鵜住居(うすのまい)小学生約600人が津波から走って逃げ、間一髪、難を逃れた話は有名で、感動的だ。ハザードマップによると鵜住居小学校は浸水想定区域外で、安全とみられていた。小学校の三階に避難していた児童達は、釜石東中学生達の避難する姿を見て、一緒に自主的に高台に避難し、想定外の巨大津波の難を逃れた。(直後に津波は、小学校の三階にまでも達した。)
これにとどまらず、釜石市内では約3000人の小中学生のほとんどが押し寄せる巨大津波から逃れて無事だったようだ。この「奇跡」を支えたのが、「避難の3原則」だ。「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」。これらは、釜石市で防災教育の指導にあたってきた群馬大学片田敏孝教授が2004年スマトラ沖大地震後の津波被害を研究して提唱し、小中学校の先生たちと一緒に子どもたちに教え続けてきた結果だ。また、「津波てんでんこ」という三陸に伝わる家族を信頼して、自分だけでもいいから逃げて一家全滅を防げ、という教えも役に立ったという。その大災害の場に居合わせると、実際、集団心理的に実行が難しい迅速な避難行動を、可能にするための事前訓練を学校中心に繰り返してきた成果である。
これも、起業家経営に示唆に富む話である。私自身、起業家と投資家VCが、何とか大丈夫だろうと思ってしまって、分かっていた危機を避けられずにまともに窮地に陥ってしまう、という現場を何度も見てきている。なぜ分かっている経営的窮地に身を置いてしまうのか、という私の疑問の一部答えになっている。
1.想定を信じるな
ベンチャーの創業経営で、事業計画通りになど事は進みはしない。DeNAにしてもインフォテリアにしても予定通りになど成功にたどり着いていない。あるシナリオを前提に策定したに過ぎない事業計画を、妄信して行き詰まるのは、事業計画通りにすればうまくいくと思考停止に陥るからだ。
2.最善を尽くせ
予算管理にしがみついて経営するのでなく、状況をよく観察することである。その時の状況に合わせて経営をしなければ、予算管理は試行を停止させる。一般的に経費は予算通りに使ってしまい、売上は予算通りには達成できないことが多い。その場合予算を前提とした資金繰りはどうなってしまうのか。当たり前だが資金不足に陥る。その時にファイナンスで窮地をしのぐのではなくて、現実に目を向け、最善を尽くして新しいバランスを発見しなければ危険だ。
3.率先行動者たれ
ベンチャーの社内、役員会のメンバーの中に悠長なメンバーがいて、想定の範囲内だろう、とか計画を作った人の顔を潰すとか、計画遵守とかいう人がいると、その人につられて対応が後手後手に回ることになる。津波は大丈夫じゃない、と主張する人がメンバーに一人いると、全体が引っ張られるのだ。その時勇気を出して行動する人がいれば、メンバーはその人に引っ張られていい方向に集団心理的に良い行動が起こる。
4.津波てんでんこ
成功する起業家が、失敗してそれをてこに立ち上がれない起業家の面倒を見ている場合ではない。成功する起業家は成功する起業家とともに、時代を切り開いてゆく、それで良い、という割り切りは、特にハンズオン型のベンチャーキャピタリストにとって重要な考え方ではないか。心理的には、避難しようとしない家族を家に残して自分だけ高台に避難するのは難しいが、家族を信頼して、自分はとにかく逃げるという発想が重要だというが、成功する起業家やベンチャーキャピタリストにも重要な発想だろう。
気仙沼の民宿の女将(65歳)の体験談
三陸訪問の途中で泊まった民宿の女将から聞いた話が興味深かったので、以下、聞いたまま書く。
「2011年3月11日、地震の後津波が来て民宿の一階がやられた。何もかもメチャクチャで、それをボランティアが来て、片付けてくれた。背の高い学生がいて、一生懸命上の窓まできれいに拭いてくれた。もうやめようかと思っていた民宿を立ち直らせてくれたのは、ボランティアの人たちが本当に一生懸命やってくれたからだ。周りの三軒のうち、二軒は民宿を廃業した。
5月末締め切りで県に取り壊しを申請したら、300万円掛かるものをタダでやってくれるという時には、私も随分悩んだ。やり直せば、設備などに更に300万掛かり、義援金や補助金で100万円くらいは出してもらえるが、それでも7部屋ある民宿を止める、人生のいい機会だとも思った。でも他の民宿が取り壊されるのを見て、私はできないと分かった。さんざん思い悩んで挙句、やってという声もあって8月に再開した。
ボランティア学生に、親は何にも言ってないか、と聞いたら、黙って親に電話切られたという子もいた。でも、こういう経験をして、将来役に立たないわけがない、と言ってやった。エリートで順調に勉強だけして就職して出世しただけの学生には、ひとの気持など分からないだろう。
実際津波までは、私は、自分だけ何とか儲けられないか、隣に客取られないかと、そんなことばっかり考えて経営して来たけれども、なかなか民宿の経営は大変で、客は来ないし商売はうまくいかないし、止めようと何度も思っていた。ところがこんな津波があって、被災していろいろな人のお世話になって、今では、皆で良くなれば好いなって、経営をそう考えるようになった。例えば仕入れでスーパーに行って、安いものばかり買うのも良いようだが、近くの店で少々高くても買い続けてあげる様にするようになった。その時に愚痴も聞いてあげて、そうすると、何倍にもなって戻って来るんだよ。民宿の台所仕事も、家を流された人を仕事がないだろうと思い、二人使ってあげてね。もちろん復興需要で建設関係の人が使ってくれる事もあるけど、今お蔭で満杯で、民宿やっていけてるよ(笑)。」
事業を止めるかどうかそこまであなたは考えているか
起業家は、いったん資金を集めて始めた事業を止めるかどうか、大変困難な意思決定を迫られる。この気仙沼の女将は、津波によって一階がメチャクチャになった民宿を、県の補助で止める好機に恵まれた。しかし、様々なボランティアなどからの協力があって、女将は民宿を継続することにした。客観的な答えがあるわけではなく、人によって答えが違っていていいのではないかと思う。その人その人の人生である。ただ、その時その時、正直で、事実の観察に目を向け、自分らしい回答を得ることだろう。
まずは、「津波てんでんこ」である。つまり自分が自分の命を守り、人を信頼して責任を持って生き延びようとする。それは卑怯なことでも恥ずかしい事でもなく、責任のある大切なことだ、と考える事である。人がどういう違う判断をしようが、批判されようが、自分の判断した一番いい選択を進めていく。ただし、計画や想定を信じないで、現状をよく観察分析して、最善を尽くそうとすることである。
起業家として生きるということは?
起業家として、ベンチャーキャピタリストとして生きていくことは、皆が志望している大企業や官庁への進路とは違う人生を歩むことである。
ただ、それが自分の人生だと思うなら、誰に変わっていると思われようが、一人だけ成功して卑怯と言われようが(実は滅多に成功しないし、実際は誰もそんなこと言わないものだが)、気にしなくて良い。まっすぐに成功の道を追求すべきである。起業家は資本を集め、フロンティア領域に新しい商品やサービスを投入し、新しい顧客を開発してゆく。つまり新しい市場を創造してゆく役割を担っているのだ。それが成功することは社会にとって善で、結構なことである。
むしろ、誰か、心から起業家やキャピタリストとして生きて成功したいという人が、この社会の中から出てきて、歴史のフロンティアを担ってくれればいいと、「天然の神様」は思っているのではないだろうか。人生の区切りと思って、2012年3月末、三陸の津波の惨状を視察して、私はそう強く感じた。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。