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Vol.32【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

上場の鐘は、カーンと響く好い音感動した!時代は変わった

(企業家倶楽部2013年6月号掲載)

2013年3月15日ウォーターダイレクト新規上場
 創業6年半で東証マザーズに上場した、安心安全美味しい便利を売り物にした水サーバ事業の、ウォーターダイレクト(証券コード2588)の新規上場日である2013年3月15日午前8時半、主幹事証券である東京大手町の野村證券を訪問した。春を思わせる素晴らしい天気だった。久しぶりにネクタイのスーツ姿で行った。朝の電車も運転中止もなく順調で、時間通り。集まったのは、ウォーターダイレクト伊久間努社長ほか、上場セレモニーに参加する役員他スタッフたちだった。玄関で、大げさだなと思うようなピンクのバラを胸につけさせられた。
 上場引受け担当の役員らと挨拶した時、「ところで野村證券にはウォーターダイレクトの水サーバを入れているんだろうな」とお偉いさんがスタッフに聞いた。「主幹事だが、大丈夫かな」と思ったが、そこは落ち度無く、「もちろんです」と部下は言った。さすがである。主幹事証券会社がウォーターダイレクトの上場を引き受けるのだから、その会社の商品である美味しい天然水「CLYTIA」を採用してくれて当然である。ウォーターダイレクトにとって、これまで主力の家庭への営業から、事務所など法人への導入はまだこれからの重要課題だからだ。
 野村證券自慢のディーリングルームを眼下に見下ろしながら、「ディーリングルームに、本日上場のウォーターダイレクトの社長役員の皆さんがいらっしゃいました」という放送での紹介とともに、職員が一斉に立ち上がり、拍手で新規上場の歓迎を受けた。図らずも目頭が熱くなり、ぐっとこみ上げるものがあった。自分でもなぜ涙が出そうになるのか、ふと考えた。
 上場したことを、ディーリングルームのスタッフが立ち上がって一斉に拍手して祝福してくれるということは、自分たちが創業以来6年半かけてウォーターダイレクトを育ててきたことを評価してくれている、と素直に感じた。もちろん直接事業を育ててきたのは、社長の伊久間さん、工場の武井さんをはじめ、現場の役職員の努力であることは当然であり、私だけであるわけがない。ベンチャーキャピタルが出来る事は、資金を出し、資本政策に関わり、役員会やミーティングで意見を述べさせて頂いて、会社の発展を叱咤激励するくらいのものである。
 それでも、いろいろなことが6年半の間にあった。新しいワンウェイ方式の水サーバの開発と、販売方法の開発、プラントを立ち上げるための資金不足や、初代社長の退任、ライバル会社の出現、東日本大震災による混乱や被災地へのボランティア活動、新水源の開発、海外展開の是非、大株主の交代など、走馬灯のように過去が断片的に思い出された。
 いよいよ午前9時になり、東京証券取引所のその日の取引が開始となって、証券が上場され売買が開始となった。1200円の公募株価(上場直前、証券会社が評価した株価で一般株主へ公募増資が行われる)を安く抑えたせいか、売買開始直後人気があり、すぐには値がつかないようだった。係員がモニターの板(注文状況一覧)を指さしながら、「ご覧ください、ウォーターダイレクトは買い気配となっています。ここしばらく新規上場株が軒並み大人気となっていますから、しばらく買い物が多すぎて、値がつかないかもしれません」と説明してくれた。
 実際、あまりに買手の人気が高すぎて、売買が成立せず、最初の寄付き株価が需給関係で異常に高くなり過ぎてしまうと、その後の株価の変動が激しくなってしまうので心配になった。(結局その日は、市場が閉会する午後3時まで買い気配で値がつかず、2760円の買い気配で終わった。)いかなる場合も株価は高ければよいというものではない。
  
午前9時40分上場の鐘を鳴らす
 その後、主幹事の担当者に引率される形で、国産のワゴン車2台に分乗し、東京証券取引所に移動した。セレモニー会場で数十人のウォーターダイレクトの職員も合流した。上場記念の盾の授与などが終わり、伊久間社長が短いスピーチをした。証券取引所と主幹事への感謝の言葉が述べられるとともに、東京証券取引所の司会者がたまたま社長の高校の同級生であったエピソードが話された。
 午前9時40分、当社役員の一人として、鐘を鳴らした。周りから「何回目ですか」と聞かれたが、実は私は鐘を鳴らすのはこれが人生で初めてだ。DeNAの時も、インフォテリアの時も、すでに何十社も上場の産婆役を経験しているにもかかわらず、私は鐘を鳴らさなかったし、上場セレモニーにも参加しなかった。忙しかったし、それほど重要な会だという意識もなかった。たまたま、今回、新規上場企業の役員としてセレモニーに出ることとなって、鐘を鳴らした。カーンと響き渡る、とても好い音がした。周囲の電光掲示板には、「祝上場、ウォーターダイレクト」のカラフルな文字があちこちに浮かび上がり、何枚もみんなで記念写真を撮った。
 驚いたのは、向こうから「村口さん!」と偉そうな人が近づいてきたことだ。何と、大学の高橋ゼミの先輩が出世して、東京証券取引所の常務執行役員になっていたのだった。世間は狭いものである。
  
感動した!ひと山越えた
 思えば、ここ5年間のベンチャー企業にとって、上場は気の遠くなるほど遠い世界になってしまっていた。2000年から数年のドットコムバブルと規制緩和によって、新規上場企業が粗製濫造され、もてはやされたと思ったら、06年にはホリエモン事件、08年にはリーマンショックで、5年間という長い期間、日本の新規上場は歴史的低迷を記録した。その低迷を払しょくするように、2013年、上場会社が増加の傾向を示すとともに、新規上場株が軒並み大人気となって、株価が過熱し始めたのだ。
 私にとっても、記念すべき久しぶりの上場だ。05年にDeNAが上場し、07年インフォテリアが上場したまでは良かったが、09年エイケアシステムズが上場予定日まで決まっていながら、上場を断念して、外資系に買われてしまった。上場審査の不可解な仕組みに、強い不条理と憤りを感じた。それ以来、事ある毎に上場制度運用の批判を当局にさせて頂き、改善を訴えてきた。それがやっと日の目を見たのが、11年の東証の上場審査基準の見直しである。今でもエイケアは上場させたかった、と思っている。そんな過去の悔しさを引きずったまま、ようやく、13年春、新しい上場基準でウォーターダイレクトは上場した。
 それにしても、ここまでの過程が長かった。ようやくここまで来られた。カーンと証券取引所の鐘の音が好い音がしたのは、そういう意味もあった。時代は変わったのだ。
 ウォーターダイレクトの上場は、世間がスマホのゲームアプリだ、クラウドだともてはやされる中で、水の供給という、人間どころか生物にとって、極めて基本的な重要なプロジェクトであるという点も、流行り廃りの激しいベンチャーの世界では珍しいかもしれない。水の重要性をもっと理解されてもいいのではないかという点でも、こういうプロジェクトの上場に関係できたことがうれしい。
  
上場の責任に、身が引き締まった
 カーンと響く鐘の音を聞きながら、責任も重大だな、という思いも同時にこみ上げてきた。上場企業になるという事は、単に書面上の法律や規則を守るという形式を満たすことで良かれという事だけでは駄目だ、と思った。つまり、法律や規則の前に、規律というものがあるのではないか。
 その規律の中で最も重要な規律は、「よき商品を、よき顧客に体験してもらって、価値を見出してもらい、お買い求めいただく」という事業活動規律である。20世紀に発展した「組織」というものには二面性があり、日本軍がそうであったように大人数で大量に処理をするための便利な道具である反面、ともすれば堕落し、不効率不健全な官僚組織に変質しやすい。戦中派の人々はそれを友や家族の死を引き替えに痛いほど体験した。事業の立ち上げに成功した株式会社は、上場すれば、上場時の組織形式審査の厳しさが身にしみ、ついにコンプライアンスを意識し過ぎて、二流の人材による、中身のない形式的組織的な運営になりやすい。
 さてウォーターダイレクトは上場した以上、投資家の期待に応えるためにも、常にフレッシュな新しい感性で時代の変化をとらえ、法律の形式性に溺れず、規律をもって事業の最適化に挑戦し、過去の計画やパラダイムを超えて、組織病にかからず、イノベーティブな経営に邁進しなければならない。私もベンチャーキャピタリストとして、起業家とともに、ウォーターダイレクトの上場後の事業発展及び組織改革を、更に大胆に進めなければならない。
  
ゼミ恩師逝去の報に接す
 私にベンチャーキャピタリストという職業のあることを1982年に教えてくれた恩師高橋潤二郎慶應義塾大学名誉教授が、3月22日他界された。私が今こうやってベンチャーの発展に関係して活動できているのも、もっぱら先生の大学ゼミ時代に薫陶があったればこそである。
「彼は学生時代シェイクスピアをやっていた男なんですよ」と面白そうにご紹介下さっていた。何度か夫婦で会食にもご一緒させて頂き、こんなに早くお亡くなりになるとは思っていなかった。銀座のお寿司屋にお連れ出来なかったことが悔やまれる。慶應義塾大学常任理事としてSFC創設にも関わった、才能あふれる厳しくも優しい先生だった。社会研究の数学的論理的なモデルによる実証研究の力と、人間の芸術的な情念のもつ力と、両方を重視する生き方に私も強く共感し、ベンチャーキャピタリストとしてのものの見方に思想的な思考の基盤を作る事が出来たのは、先生のおかげだ。また、独立後は先生から社会貢献の重要性の示唆を受け、青少年起業体験プログラムや高校の留学支援を継続して実行するきかっけを作ってくれた。
 きっと今頃、三途の川両岸地域における多数のご高齢者などが幸せに過ごせる近未来的フィールドスタディを、実証統計手法とアートの観点という先生独自の両面から研究に奔走されている事と、確信する。ここに、心よりの感謝の気持ちをささげ、ご冥福をお祈りいたします。

著者略歴

 日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代表 村口和孝《むらぐちかずたか》
 1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。投資先にはDeNAの他、ウォーターダイレクト社が3月15日東証マザーズに上場。

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