会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2018年8月号掲載)
起業経営とは壁とジレンマの連続
スタートアップの苦難に立ち向かって、はや35年が経過しようとしている。独立してから既に20周年だ。応援した起業家も事業も、振り返ってみると様々だ。これまで「どうやって投資案件を見抜いているのですか?」とか、「なぜDeNAの創業期に、南場さんの何を見て投資を意思決定したのですか?」とか、質問されることが多かった。それなりに答えて説明して来たつもりだった。ただ、投資候補先の起業経営成功の構造を説明するのは、大変難しく、何かを説明すると、何かが抜けてしまう。例えば、お金や株式のことを説明すると、商品開発や技術が抜ける。人の組織化を説明すると、事業の将来性の評価の事が。会社の設立の話をすると、マーケティングや販売促進がどこかに飛ぶ、と言う具合だ。
素晴らしい起業家に共通することは、何だろうか。部長に営業や技術や製造のプロと言うのはいるが、優秀な起業家に、何かの部門のプロと言われる起業家はいない。では、起業家とは何のプロなのか?私は最近、「起業家とはジレンマに苦しみながら、9つの壁を乗り越えていく人のことだ」、と説明するようになった。これは、起業体験教育の受講生青少年への説明に試行錯誤する中で、体験的に生まれたモデルである。
スタートアップ9つの壁モデル
1.自立の壁
2.事業選択の壁
3.パートナー選定の壁
4.会社化の壁
5.商品化の壁
6.事業化の壁
7.収益化の壁
8.成長モデルの壁
9.上場経営の壁
第一の壁:「自立」のジレンマ
人が人生の中で起業に向かう時、一番最初に直面するのは、「自立の壁」である。特にこの第一の壁は、組織人すなわちサラリーマンや役人が多い現代において、乗り越えるのが極めて困難な壁として、我々の前にそそり立っている。20世紀は大量生産の工業化社会と言われ、労働は生産力の一部として分業組織化され、人の働きは、管理組織の中で言わばオペレーションの部品として標準化されている。つまり、高校大学を卒業して、最近のとりわけ大企業に就職すると、働く者は、どこかの部署を人事異動で出世しながら転勤する、「組織人の生き方と考え方」が、自然と身についている。それが、戦後何世代にも渡っているので、組織思考が日本の常識にまでなってしまっている。
時代変革の現代の今、もう一度、明治維新の頃の日本人の当時の課題に戻る作業が必要だ。当時は武士層の社会が崩壊し、路頭に迷い、何もない所から、産業革命に追いつき、文明開化のイノベーションを実現せねばならなかった。法律未整備の中、新社会を創造するため、若いリーダーを数多く育成したのが、福沢諭吉らであり、その重要な出発点が「独立自尊」だ。
もしあなたがサラリーマンで、会社を辞め、新しいベンチャーを起こすなど、家族や仲間が心配しないわけがない。現在属している組織を辞めるなという「魔女や妖精の囁(ささや)き」が聞こえ、ジレンマに悩むだろう。あれこれ思いっきり悩めばよい。起業経営が、何か天才起業家が豪放磊落に実現するような誤解があるようだが、実際は全く違い、ジレンマの連続なのだ。むしろ、正しくジレンマし続けることこそが、起業経営の正しい在り方だ。素直に自分と向き合え。
第二の壁:「事業選択」のジレンマ
多くの起業家先輩の成功と失敗を見ると、トヨタ、京セラ、楽天、ソフトバンク、アインファーマシーズ、DeNAなど、事業成功は、時代のタイミングが良かったと歴史家は振り返る。あるフロンティアの商品(自動車、半導体、EC、ブロードバンド、調剤薬局、携帯ゲーム)の投入が、大規模な世の中の需要の立ち上がりのタイミングに合致していたと言うのだ。一方で同時に、時代的に立ち上がっていく需要に対して、供給体制が生産側で間に合わなければ、新しい市場が出来ないのは言うまでもない。材料が仕入でき、加工でき、提供できる販売体制が伴ってはじめて大規模な販売が可能となる。新産業の勃興には、「需要と供給の二枚のトランプを同時に立ち上げる」必要があるのだ。
例えば「5年後に大きな需要の立ち上がり、5年で商品の供給体制の整備出来るような何か」を選ぶことだ。だがそれを予測する事は容易でない。フロンティアの新領域には、エビデンスがないからこそ、既存企業も対応が遅く、立ち上がり時期の時代的チャンスがある。ただ、うまく行きかけると、大手も参入してくるから、競争がないと勘違いしてはいけない(妖精が囁く)。
自分がどの領域で人生勝負に出るか悩む。既存事業だとデータは豊富だがレッドオーシャンだし、フロンティアの新規事業だと、未来は不確実だから細かい計画不可能で、出たとこ勝負的人生になる。事業の選択は、ジレンマだ。このジレンマ活動に大きなヒントになるのが、インタビュー活動だ。先輩起業家、予定取引先、将来顧客候補、同業者に近い会社などが、その対象となる。
5つは候補事業を持つようになりたい。どんなに苦しくても、いったん事業を決めたら長期に渡り、壁を次々乗り越えて行かねばならない。「自分らしい事業」を選択することも、意外と重要だ。
ここで、事業には様々な法律をはじめとして、「制約ジレンマ」を意識することが重要だ。特に法律や業界慣行など、事業が最初新しく、後に事業が立ち上がり、キャズムを超えると、仮想通貨分野のように、あとから業法が遅れて出来、業界団体が出来、大きな事業の制約となる(同時に、参入障壁にもなる)。
第三の壁:「パートナー選定」のジレンマ
創業の最初にとって、起業家が重要であることは当然だが、起業活動の初期において、パートナーが偶然にせよ登場するのは、どの創業成功物語にも共通している。起業家が一人で成功することはない。スティーブ・ジョブズにとってのウォズニアックなど、事例に事欠かない。ただ、パートナー同士が仲たがいをするケースも多いから、これもジレンマだ。どの人と、いつ結婚すべきかどうか、どんな人もあることだが、悩むのと同じだ(魔女や妖精との出会いも重要だ!)。
第四の壁:「会社化」のジレンマ
事業構想が固まると、社会的な事業組織として、会社を設立する。社名をどうするか?住所をどうするか?はもちろん、どんな株をどの程度発行して、誰に株主になってもらうのか?取締役が何人か必要だが、誰を取締役とすべきか?会計や株主総会は?
取締役は替えれば良いが、株主は少数株主であっても、いったん株主になったら、会社から勝手に株主を入れ替わってもらう訳にはいかない。会社は株主がオーナーであるから、株主からの影響を排除できないので、自分以外に最初になってもらう株主は、誰であるべきか、よく注意しないといけない。人生における最初の結婚相手を決めるのと同様、重大な影響がある。
また、株価を付けて株を発行して増資すれば、会社の資本は増えて大きくなるかも知れないが、自分以外の増資に応じてくれた株主の持ち株比率が高まってしまう。出来るだけ他の資本を小さくしておきたいと考える気持ちと、出来るだけ資本を大きくしておきたいと思う気持ちがぶつかり合って、これを「ファイナンスのジレンマ」と言う。では借入を行えば、事業が成功しようが失敗しようが、強制的に返済が必要だから、これまた良い創業資金調達とも言えず、ジレンマだ。
新しい株主に資金提供を受けるためには、投資家VCの納得と意思決定が必要で、起業家は魅力的な事業計画の作成と、プレゼンテーションが必要だ。また、会社の基本ルールは、定款にまとめ、登記される。
第五の壁:「商品化」のジレンマ
会社が設立でき、資本が投資家から集められて、一番最初に会社が行うのが、顧客に販売する商品の商品化である。仮に技術がいくらイノベーティブで独創的でも、顧客に売れる商品に包まなければ、会社には収入がない。商品が商品として形になり、仕様が決められ、最初の商品名が名付けられる。
それが魅力的な商品に仕上がったかどうか?顧客候補に一定期間使用してもらい、「顧客反応テスト」してみることだ。半数程度がファンになってくれたら、合格だ。そうでなければ、やり直し!機能が多ければ良いと訳ではない。
第六の壁:「事業化」のジレンマ
商品化が合格したとしても、その商品を品質よく、かつ一定量生産し出来るようにするのは容易でない。材料をどこからどんな条件で仕入れ、いかに加工し、いかに輸送、在庫し、どう販促して、いかに販売するのか?もちろん自分で全部できないから、取引先と契約して供給販売体制を構築することになる。焼きそばのキャベツだって、スーパーから仕入れる方法だけではなく、卸業者から仕入れる方法もあれば、農家から産地直送で仕入れる方法もあり、価格と条件がそれぞれ大きく異なる。取引先を選び、どんな契約をするかは、DeNAの外注先選定失敗例を出すまでもなく、ジレンマであり、重要である。
保守サービスをどうするか、有料化するかどうか、等よくあるジレンマだ。
製造などの場合、設備投資を行うが、どんな設備をどんな条件で準備するのか、新品なのか中古か?現金で買うのかリースか?選択肢が多くジレンマだ。また、事業のオペレーションを回すために、従業員を雇用契約で雇い、研修を行って、役割分担し、パートを補充しないといけない。社員の組織化である。給料は固定費化して、財務的制約から無限に出せないため、どんな社員を雇うか、解雇するか、ジレンマだ。
第七の壁:「収益化」のジレンマ
事業化の準備が出来たとしても、収益化のために、販売促進の累積的効果の積み上げ、ボトルネック解消、機会損失を撲滅しつつ、費用支出を抑え、売上拡大することで、「価格設定ジレンマ」、「商品構成ジレンマ」「品質ジレンマ」を乗り越え、損益分岐点にたどり着ければ、合格だ。
第八の壁:「成長モデル」のジレンマ
販売できる商品群が整い、いくつか収益化でき、顧客がついて来て、「成長モデル構築の諸条件」を整えるのは容易でない。多くの場合、成長モデルの諸条件を整えるために、先行投資が必要で、足元の収益化が犠牲になるため、「成長のジレンマ」の囁きに悩むことになる。
第九の壁:「上場経営」のジレンマ
上場するためには、開示体制と、利益相反取引の整理などが必要だ。会計監査も二期間は必要で、上場申請の資料だけでも膨大な資料作成が必要になる。証券会社や監査法人と多くの時間を費やすことになるが、そこまでして上場するメリットがあるかどうか、ジレンマに陥る。
起業体験プログラムの効果
起業経営とは、九つの壁を、様々なジレンマとほぼ無限に戦いながら、次々乗り越えて行こうとする人生活動の在り方と言ってよい。この九つの壁とジレンマは、サラリーマンを何年やってみても身につくものではないし、本を読んでも分からない。小さな事業でも、すべての過程を、ジレンマを克服しながら体験してみるほかになく、それを最もコンパクトに体験できるように工夫されたものが、起業体験プログラムに他ならない。
この九つのすべてのジレンマをシェイクスピアの人間劇のごとくリアルに感じられるようになって初めて、自分らしい起業活動の理想に近づくことが出来るのだ。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、IPS、PTP、テックビューロ等がある。